セパージュ時代の到来(5)挫折:南仏アニアーヌ村の事件《ワイン片手に経営論》第19回

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■衝突劇の主役:エメ・ギベール氏

 ギベールは、ラングドック地方のアニアーヌ村にあるドマ・ガザックというワイナリーの造り手です。もともと皮革産業に従事していましたが、1985年にフランス政府が、航空機産業政策に関する契約交渉を有利に進めるために、皮革産業を韓国に対して開放したのです。その結果、1年間に10万人が失業、その一人がエメ・ギベール氏でした。

 ギベールは、失業後もその地方を離れず、ワイン造りを始めました。彼が選んだブドウ品種は、カベルネ・ソーヴィニョン。先ほど述べたように、ラングドック地方でワイン生産を行なうにあたって、AOCを名乗ることができないブドウ品種です。AOCの枠組みにしたがってワイン生産をすることが高級ワインを生産している証になるのですが、ギベールは、あえてカベルネ・ソーヴィニョンを選んだのです。しかも、勘に頼るだけでなく、ボルドー大学のエミール・ペイノー教授を招いて科学的な知見を取り入れながら、まさにセパージュ主義的なワイン造りを目指したように見えます。では、本当にセパージュ主義を志向したのでしょうか。

 手元の資料では参考になるものは余りありません。オリビス・トレス氏の著書『ワイン・ウォーズ:モンダヴィ事件』(関西大学出版部)によると、「AOCという制度の適用を外れる代わりに、自由にワイン生産を行なう道を選んだ」という趣旨のことを述べているようです。

 私の勝手な想像ですが、皮革産業における失業の経験から、国家の制度に頼って事業を行なうことを避けたかったのではないかと思います。国家というものは、必ずしも全ての産業を保護するわけではないということを、実感していたことでしょう。そのために、自身で事業を切り拓いていけるやり方を選択したかったのではないでしょうか。

 ギベールは、AOCの適用を外れたカベルネ・ソーヴィニョンという国際的な品種を使いましたが、彼が残した発言を総合的に解釈すると決してセパージュ主義ではありません。国の制度に頼らず自身でブランドを作っていくという立場に身を置いたとき、国際的に通用しているカベルネ・ソーヴィニョンを選択するという賢明な判断をしつつ、自身が住み慣れた地方で、その土地の潜在力を最大限に活かすことをより重視したテロワール主義的なワイン造りを目指したのではないかと思われます。本人に会うことがあったら、質問してみたいポイントです。

 こうして、彼は1978年に初ビンテージを出します。ペイノー教授は成功だと評価したのですが、本人は出来栄えに納得がいかなかったようです。ところがある日、ドマ・ガザックを訪れたイギリスのレストランオーナーが、10分間ほどテイスティングをした後、「お好きな値段をつけてもらってよいので、あるだけのものをすべて売ってください」と3000本を注文したのです。このイギリス人の名は、ディヴィット・ギルモア。レストラン事業以外に、ワイン販売店、カフェやレストランにワインを卸す販売会社を所有する人物でした。

 こうして、エメ・ギベールのワインは広く認知されるようになり、高品質ワイン造りの事業に成功すると、この地域でも、徐々に質の高いワイン造りへの気運が高まります。

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