ランボルギーニがフェラーリに肉薄できた理由 似て非なる戦略と今も生きる創業者の信念

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フェラーリもさすがにSUVの開発を示唆しているものの、現在はFCA(フィアットクライスラー)グループから離れてしまったため、自力ですべてを開発しなければならない。

これはフェラーリにとって大きなハンディだ。なにせ、4ドアモデルをこの70数年に及ぶフェラーリの歴史の中で一度も作ったことがない。現場は相当に難航しているようなのだ。

つまりランボルギーニは、販売数量ではフェラーリをかなりの勢いで追い上げているが、両者の商品戦略は大きく異なっている。

フェラーリは12気筒系においてはハイパフォーマンスに徹した「812系」、そしてリアシートを持つ「GTC Lusso」。8気筒系では「F8」系、「SF90ストラダーレ」、そして「ローマ」、「ポルトフィーノ」、「GTC LussoT」というバリエーションに富んだ展開を行っている。

しかし、ランボルギーニはSUVを持ってはいるものの、12気筒のアヴェンタドール系と10気筒のウラカン系というシンプルな構成だ。

スポーツカーには“希少性”が重要だ

ランボルギーニのステファノ・ドメニカリCEOは「ランボルギーニとしてはこのラインナップを拡大するつもりはありません。現在の3モデル体制が、ランボルギーニというブランドにとってちょうどいいサイズなのです」と語っている。

このハイパフォーマンスカー・マーケットにおいて、希少性の維持こそが何よりも重要なのは間違いない。長い歴史と神話を持つフェラーリに数量で対抗し、真っ向から勝負することが得策ではないことを彼らは十分に理解している。

そもそもランボルギーニは1999年当時、年間生産数量がわずか264台という少量生産メーカーであった。同年にはアウディ傘下となり、徹底的にマネージメントから製造に至るまで徹底的なリストラクチャーが行われ、ブランディングを再構築する長期的プロジェクトがスタートしていた。つまり、現在のような体制が整ったのは、ここ10年ほどのことなのだ。

フェラーリの創業は1947年ではあるが、その神話の主であるエンツォ・フェラーリが自らのワークス・チーム“スクーデリア・フェラーリ”を設立したのは1929年のことであり、昨年その創立90周年が祝われている。モータースポーツ界においては長い歴史を持っているわけだ。

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