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ランボルギーニがフェラーリに肉薄できた理由 似て非なる戦略と今も生きる創業者の信念

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  • 越湖 信一 PRコンサルタント、EKKO PROJECT代表
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ランボルギーニは、創業が1963年という世界の自動車メーカーの中でも若い会社だ。アウトモビリ・ランボルギーニ社の創業者フェルッチオ・ランボルギーニは、モータースポーツ愛好家ではあったが、トラクター事業の大成功で財をなした人物である。

ランボルギーニ社の創業者、フェルッチオ・ランボルギーニ(写真:ランボルギーニ)

暖房器具、クーラー、油圧機器など、時流に乗った工業製品をビジネス化していった、いわば企業家であった。そういう意味で、エンツォとはもちろん、イタリア当地の自動車産業の中でランボルギーニが異端な存在であったことは間違いない。

フェラーリの市販モデルを乗りまわしていたフェルッチオは、その構造上の問題や品質について思いをめぐらし、辛口の評価をした。それは工業製品を作りビジネスを展開していた人物にとって、当然のことであったかもしれない。

そして、うまくやればハイパフォーマンスカー作りがビジネスとして悪くない、と考えはじめるのは時間の問題であった。目の前には、ベンチマークとしてフェラーリという大物が存在するのだから、そこに革新的な技術と、工業製品としての品質“改善”を持ち込めば……。

ブランディングとマーケティングの妙

フェルッチオ・ランボルギーニは、デトロイトの自動車産業を研究したのみならず、日本の自動車産業も独自の観点から研究していた。しかし、彼は単なる技術屋ではなかった。いかにすればフェラーリの顧客を奪うことができるのか、そのためにはどんなブランディングが必要かということも、同じくらい重要なものだと考えていた。

彼は富裕層顧客が何を求めているかをよく研究した。あるときはその世界の中へ自ら入り込み、その答えを体でつかんでいった。そんな中で生まれたのが名車「ミウラ」だ。

1966年に発表された「ミウラ」(写真:ランボルギーニ)

エンツォが、レースへの思いを一寸のブレもなく追求し続けたという執念に、私は何よりも感服する。一方で、フェルッチオの持つ、どんなターゲットをも斬新なアイデアで取り込んでしまう天才的なマーケティング能力にも深く感服するのだ。まったく異なった思想から生まれた2つのブランドであるが、そのDNAがどちらも揺るがずに今も存在していることに深い意味がある。

そういった背景もあり、フェルッチオは当地のスポーツカー・メーカーの他、オーナーたちとも少し違ったメンタリティを持っていた。

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