大問題の普天間基地移設、経緯をあらためて復習する(その2)

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大問題の普天間基地移設、経緯をあらためて復習する(その2)

藤末健三 民主党参議院議員

12月16日の記事『大問題の普天間基地移設、経緯をあらためて復習する』で、90年代以降の普天間基地移設問題を振り返ってみた。その後、現実はさらに進み、民主党政権は移設問題の結論を2010年に先送りすることになった。2009年12月18日、宜野湾市議会も同飛行場の「一刻も早い危険性の除去」と「早期返還」を日米両政府に求める決議と意見書を全会一致で可決した。 地元の方々の移設への思いとアメリカ政府の意向との間の大きなズレがまた表面化したことになる。

そこで今回も引き続いて普天間基地移設問題の経緯や課題を整理してみた。

沖縄における民意

まずは沖縄の民意を考えてみたい。

在日米軍基地再編のロードマップが公表された後も、キャンプ・シュワブの普天間移設や岩国基地への空母艦載機移転については自治体の調整は難航していた。たとえば、普天間基地移設について自治体は騒音や危険性を低減するために、環境アセスのあり方や計画修正による滑走路の沖合移動をめぐって政府と衝突していた。そして、今回の宜野湾市議会による「普天間基地の国外移転」決議につながるのである。

が、普天間基地移設については、地元沖縄の「民意」も多様である。たとえば筆者は3月に沖縄を訪問したが、米軍基地から収入を得ている人々(基地に土地を貸している人や基地で働く人など)もおり、必ずしもすべての人が在日米軍基地に反対しているわけではないことが見受けられた。

首長の発言を見ると、県知事と名護市長は、「理想は県外・国外移転であるが、滑走路の沖合移動を条件にシュワブ沿岸への移設を容認」といった発言もしている。これは、後述するが、普天間基地移設が遅れると南部基地返還や普天間の危険性除去も実現しないという可能性があり、現実的な苦渋の決断だと言われている。

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