「豊臣秀吉」に仕えた2人の武将それぞれの決断

黒田孝高、藤堂高虎から私たちが学ぶこと

現代人と同様、戦国から江戸初期にかけて生きた武将たちもさまざまな条件下で、悩みながら決断を下してきた(写真:Webサイト 日本の城写真集)
人間、いつも最善の選択ができるとは限らない。人間関係、時間、お金……etc。さまざまな条件がある中で、悩みながら判断を下さなければならないのは、現代人も戦国から江戸初期にかけて生きた武将たちも同じはず。
そこで、NHKの『その時歴史が動いた』をはじめ多くの番組、著書で歴史をひもといてきた松平定知さんの最新著書『一城一話 55の物語 戦国の名将、敗将、女たちに学ぶ』から2人の武将が下した決断の意味に迫る。

天下を本当に狙った知謀の人、黒田孝高(官兵衛)

天正10(1582)年6月2日明け方、本能寺の変が勃発。当時羽柴秀吉は、備中高松城で毛利軍と対峙していましたが、翌3日明智光秀が毛利方に送った密使がたまたま、秀吉軍に迷い込んだことから、織田信長の死を知ることになります。悲嘆にくれる秀吉に「さあ、天下をお取りくださいませ」とささやいたのが黒田孝高です。

冷静な孝高は「信長の死を信長の家臣たちはまだ誰も知らないであろう」「京にいち早く戻り、明智光秀を討ち取れば、有力な後継者になれるであろう」という2つのことを直感的に感じ取り、秀吉に進言したのがこの言葉です。

秀吉の軍師として活躍した孝高ですが、秀吉はその知謀がいつの日か自分に向けられるのでは? と思うようになっていきます。

「儂(わし)に代わって天下を治めるのは誰だ?」との問いに家臣たちは前田利家や徳川家康の名を挙げましたが、秀吉は「官兵衛だ」と言ったという話が伝わっています。これを伝え聞いた孝高は「このままでは殺される!」と思い、秀吉のもとを去り、家督を息子の長政に譲ります。

孝高の人生がターニングポイントを迎えるのは秀吉が慶長3(1598)年に伏見城で亡くなってからです。その後の徳川家康の動きから、やがて天下をめぐって、一大決戦があるだろうことを、孝高は確信します。

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