「ポストコロナ」米中いずれも勝者になれない訳 「それ以外の世界」が新秩序のカギを握る

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船橋:トランプ政権になってあらわになった米中の対立は、グレアム・アリソン(アメリカの政治学者。1940年生まれ。ハーバード大学ケネディ行政大学院初代院長)が「トゥキディデスの罠」で想定したような覇権国家と新興国家の戦争不可避の対立ではなく、地経学的葛藤を中心とするグレーゾーンでの覇権争いだと思います。それがコロナで一段と顕著になったと思います。ただ、ご指摘の通り、この経済的対立が全面対決、とくに軍事的対立に発展する可能性は小さいと私も思います。

意志と能力のミスマッチ

今回、私が感じたのは経済を巡る対立よりも米中間の心理的、あるいは生理的対立のほうが怖いなということです。中国政府の行動振舞いがけしからんということではなく、中国人自体が汚いとか、危ないとか、嘘つきだなど、といったほとんど生理的嫌悪感に基づく人種偏見が剥き出しになり、それが中国への不信感と拒否感を内向させる恐ろしさです。生理的対立の恐ろしさは、19世紀後半の1880年代以降、社会ダーウィン主義が広まり、それが優生学を生み、ひいてはナチスのユダヤ人虐殺につながった悲劇を想起すればわかることです。

もう一つ、米中が提携してポストコロナの新秩序を形成することの難しさは、能力と意志のミスマッチがあるからだと思います。第1次世界大戦後の世界では、世界秩序を構築する意志のあったイギリスはそれに見合う能力を欠いていました、逆に能力のあったアメリカは意志に欠けていました。一方、第2次世界大戦後の世界では、意志と能力をそれぞれ併せ持った米ソが2極となりました。

ポストコロナでは、アメリカは能力を保持しつつも、一国主義への傾斜は長期化すると思います。波打ち際での防衛ラインに戻りたいという心情が強まるでしょう。コロナ後の経済社会の立て直しで世界への関心も対世界関与への資源配分も先細りするでしょう。当分、意志薄弱なリーダーシップしか発揮できないでしょう。

他方、中国は、データ主義時代の1984年体制をいち早く敷き、感染を封じ込めた“戦果“も含め「中国モデル」の優位性を国際社会に認知させ、部分的に経済社会発展モデルの「中国化」を進めようとするでしょう。さらにポストコロナ世界の秩序形成でもアメリカの脱関与――アメリカがWHOから本当に脱退した場合など――の空白を埋める形で一気に指導権を確立することを考えているかもしれません。

しかし、恐らく中国には世界を率いる意志はないでしょう。パワーは究極的には責任の概念ですが、中国は責任を取るつもりはないからです。しかも、世界がそれを受け入れる可能性は小さい。コロナ危機を通して、世界は中国の政治体制の恐ろしさを再認識したといえます。世界のトップ2カ国――覇権国と挑戦国――の能力と意志のミスマッチのため安定した国際秩序ができなかった両大戦間から戦後の覇権移転を実現させた英米の「安全な航海」とはまったく異なる地政学かつ地経学的状況に現在はあると思います。

船橋 洋一 アジア・パシフィック・イニシアティブ理事長

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ふなばし よういち / Yoichi Funabashi

1944年北京生まれ。東京大学教養学部卒業。1968年朝日新聞社入社。北京特派員、ワシントン特派員、アメリカ総局長、コラムニストを経て、2007年~2010年12月朝日新聞社主筆。現在は、現代日本が抱えるさまざまな問題をグローバルな文脈の中で分析し提言を続けるシンクタンクである財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブの理事長。現代史の現場を鳥瞰する視点で描く数々のノンフィクションをものしているジャーナリストでもある。主な作品に大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した『カウントダウン・メルトダウン』(2013年 文藝春秋)『ザ・ペニンシュラ・クエスチョン』(2006年 朝日新聞社) など。

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