独裁政党や指導者の無謬性を前提とした国家では、経済や社会が行き詰まっても、それを認め、正すのは難しい。それでも江沢民や胡錦涛のときのような集団指導制の場合は、間違いはみんなの間違いとして、しのぐことができますが、習近平のような独裁体制の場合、それは直ちに習近平問題となり、権力闘争をもたらしやすい。もともと、独裁体制には権力の継承問題が付きまといます。つまり、中国の政治体制は強固なように見えて実は非常に脆弱なのです。そのような国が国際社会のリーダーとして安定的かつ継続的な役割を果たすのは難しいでしょうね。
アメリカも問題を抱えています。トランプのリーダーとしての資質、というかその完璧なほどの欠如という深刻な問題もありますが、それよりもアメリカの社会と政治の分断と「死活的など真ん中」の政治の厚みの空洞化、さらにはその背景にある中産階級の没落とそれを促してきた格差の拡大がもっと深刻です。1970年代に萌芽し、1980年代以降加速した経済格差はその後、教育格差、健康格差としてさらに構造化してきました。ここに人種問題が絡みつきます。シカゴではコロナ感染死亡者の7割がアフリカ系アメリカ人だったと報告されています。また、2016年から3年連続でアメリカの白人男性の平均寿命が短くなったという報告もあります。
そのような内政上の問題を抱えた両国が米中関係を安定軌道に戻し、米中が手を携えてポストコロナの新秩序形成を引っ張っていけるかどうか、相当難しいのではないでしょうか。
理想や価値を提示できない米中
細谷:第2次世界大戦後、米ソが国際秩序の2極でいられたのは、単に軍事力と経済力で優位に立っていたからではなく、それぞれが示す価値や理想に多くの人々が憧憬や尊敬を抱くことができたからです。しかし、貧富の差が極限まで開いたアメリカや、自由が制限される一党独裁の中国に、世界の人々が尊敬の念を抱くことはあまりないかもしれません。つまり、米中のどちらかがポストコロナの新秩序の中心になることも、また両国がその基軸となるようなことも、ないかもしれないのです。
同時に、米中関係は友好的な蜜月時代に入ることも、全面的な対立に進展することも、いずれもないと思います。これは冷戦時代の米ソ関係との決定的な違いです。米中は互いを必要としあっているからです。いくらナショナリズムが高揚しても、両国とも、あるいは世界のどの国であっても、グローバルエコノミーから完全に離脱し、かつてのような一国単位の国民経済の殻にこもることは不可能です。
となると、米中ではない、「それ以外の世界」が、ポストコロナの新秩序の鍵を握る可能性もあります。そこにいちばん近いのはEUと日本の組み合わせだと思います。日本とEUは2018年に経済連携協定(EPA)を締結し、2019年2月に発効させ、その結びつきを強固にしました。あるいは、新秩序は、米、中、日欧の3極の合従連衡により形成されるかもしれません。日欧などの第3極が、G7や安全保障同盟を軸にアメリカとの緊密な協力関係を維持するのか。あるいは自国中心主義的で、国際機関にも敵対的なトランプ政権の方針から距離を置き、むしろ中国に接近するのか。これこそが、今後の分かれ道となると思います。
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