――今回、話題となったのが「インフォデミック(情報爆発)」という言葉です。個人の発信が増えることの影響は?
個人の発信が増えることで、「『誰を信用すればいいのか』がわかりにくくなる」ことも考えられます。その道の専門家同士でも、意見が一致しないところは当然あります。相反する意見があった場合、解釈のためには「それぞれの同意できるところを探る」「一致しない部分があるならそれは何を根拠に発信しているかを考えたうえで、暫定的なオピニオンとして判断を保留する」などのテクニックが必要になりますが、こうした手法に慣れていない人にとっては混乱の原因になります。
そして、専門的な知識の有無にかかわらず、誰もが容易に発信したり、情報を広めたりできるようになったことで、「誤った情報が拡散する」リスクも出てきました。
例えば、たまたま新型コロナウイルス感染症の患者さんを診た医療者から「〇〇を投与したら患者の状態がよくなったようだ」という発信があったとして、専門家から見れば「こういう単一の症例の持つ医学的な意味は乏しい」「大規模で厳密に計画された臨床試験での検証が必要だ」という印象で終わります。
しかし、その投稿がSNSで拡散した結果、「〇〇は”効果がある”」と感じる人が多くあらわれ、まだ効果や安全性が検証されていない医薬品を「早期に承認すべし」「早く現場で使ってほしい」という声が過度に大きくなることが危惧されます。
メディアの果たすべき役割
――テレビや新聞、インターネットなどのメディアの果たすべき役割をどう感じていますか。
本来、メディアの役目は、こうした個人発信の情報を交通整理し、上手に一般の人に伝えることにあると思います。しかし目まぐるしく状況が変わり、さまざまな発信が入り乱れる中で、ニュースメディア側も混乱し、交通整理しきれているとは言いがたい部分があるかもしれません。
メディアは、その存続のためにも、読者や視聴者のニーズや関心に応える必要があります。ですので、「尖った」発信があればそれを大々的に伝えたくなる気持ちもわかりますが、一方で、科学的な事実というのは、時に視聴者にとって不都合だったり、耳障りだったり、直感に反するものだったりします。医療現場に身を置いていれば、そのことは非常によくわかります。
ですから、たとえ読者や視聴者にとって「面白み」や「心を揺さぶるような意外性」がなかったとしても、正確性を第三者が検証できるような、きちんとした出典に基づいた情報 ”だけ” を、私見を交えず、愚直に繰り返し、発信することも、今の事態だからこそ大切ではないかと思います。