――そうした、情報との距離の変化は、どのような影響を社会的に及ぼしたと思われますか?
近代社会におけるグローバル化の影響を研究している文化人類学者アルジュン・アパデュライは、著書の『さまよえる近代』(1996年)において、次のように述べています
「想像力はいまや、行為の足場であって、単なる避難所などではない。
想像力が社会的事実となる」
いわゆる「想像力」とは、現実にはないものをイメージするとか、現実から逃避するといったニュアンスがありますよね。しかしアパデュライは、近代の社会においては「想像力が現実を作る」と指摘しました。
5月7日(取材時点)のデータによれば、国内で新型コロナウイルスの陽性が確認された人は1万5000人程度、人口の0.01%ほどにすぎません。死者に至ってはそれよりはるかに少ない。しかし国民の多くが「自粛」という形で自ら動きを制限し、その結果、経済活動が停滞するなどの影響が起きています。
「このままだと、私たちもこうなる」
なぜ多くの国民が「動きをとめないとマズイ!」と考え、実際にその行動をとっているのか。そこには、物語性のある情報によって供給された「想像力」があると考えます。有名人が死去したり、重症に陥ったりなど、それは本当にいたましいことですが、そうした物語性のある情報がネットやニュースで拡散した結果、「このままだと、私たちもこうなる」という強烈な想像力が醸成された。そのことが、国民の行動の自粛や、逆に自粛しない飲食店やパチンコ店への抗議、という「現在」を生み出したとも考えられます。
2011年3月の東日本大震災のときにも、例えば「砂場がホットスポットになりやすいらしい」というニュースが広がった結果、全国のいたるところで砂場の利用が敬遠されたり、子どもを遊ばせる親が非難されたりすることが起きました。
ウイルスや放射線のような目に見えないものは、そもそも不気味で想像力を掻き立てられやすいものですが、物語性をもった情報によってそれが増幅され、実際に社会的な影響を与えうる、ということは意識しておいたほうがいいと思います。