――物語性のある情報に接した時、冷静に受け取るためには?
情報というのは、ある方法で切り出された「世界の一部」でしかない、と知っておくことだと思います。その切り出し方には発信者の意図が込められています。個人の発信でいえば「私の考えに賛同してほしい」ということですし、メディアの発信であれば「多くの人の目に触れてほしい」というようなものです。どちらの場合も、発信者側には物語性を強調するインセンティブが働きます。
SNSやメディアの情報を見て「恐ろしいことが起きている、このままでは大変なことになる」と感じたとき、一瞬立ち止まって、発信者側がどのような想像力を喚起しようとしているかに考えを向けてみてほしいと思います。
もちろん、物語性がある情報がすべていけない、と言っているわけではないんです。しかし、わかりやすく物語化された情報の裏側には、なかなか言語化されない現実が存在している。アメリカ・ニューヨークやイタリア・ロンバルディア州の病院の映像を見せて「自粛しないと、医療崩壊が起きて大変なことになる」と強調するコンテンツを見たら、自粛することは絶対的な正義と感じます。
しかし自粛によって、大切な居場所を失ってしまう人がいる。経済的に追い詰められ、廃業を考える商店が存在する。そこに目を向けることを忘れてはいけない。
感染症の予防を絶対正義とする視点が行きすぎた結果、公園で遊ぶ子どもを通報したり、県外のよそ者を排除しようとしたり、感染した人やその家族に対する差別やバッシングを行う動きが実際に起きてしまっています。過剰なリスクへの想像力が高まれば高まるほど、どんどんどんどん住みにくい世界になってしまうかもしれません。
メディアに求められる「文脈」
――情報を伝えるメディア側には、どんなことを望みますか?
情報を伝える際に、その「文脈」も含めて伝えてほしいと思います。例えば毎日夕方ごろに全国や東京の陽性確認者は〇〇人、というニュースがネットやテレビをにぎわせますが、それは以前と比べて増えているのか減っているのか、検査数はどのくらいかという文脈をあわせて伝えないと、受け取る側はどう解釈してよいかわからない。本当は減っているのに、「まだまだ増えている」という想像力を働かせてしまう人もいるかもしれません。
「自粛をしないと〇〇人が亡くなるかもしれない、だからステイホームしよう」という情報を伝えることは大事です。同時に、それによって経済的に影響を受ける人はどのくらいいるのか、居場所を失う人がどのくらいいるのか、その人たちのために何ができるのか、ということも同じくらいのパワーを使って伝えてほしい。そうした文脈が丁寧に語られてこそ、情報が伝えられることによって、社会によりよい影響や行動を広げることにつながるのではないでしょうか。
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