能・狂言が600年続く伝統になれた根本的理由

時の権力者に愛され保護されてきた歴史がある

特筆すべきは自分の手柄話を新作能にし「豊公能(ほうこうのう)」という作品群を作ったこと。『吉野詣(よしのもうで)』は蔵王権現(ざおうごんげん)が秀吉の天下統一を祝い寿ぎ、『高野参詣(こうやさんけい)』は亡き母の亡霊が秀吉の親孝行を褒めたたえるというもの。戦で勝利を重ねた題材は『北条』『柴田』とタイトルから想像できる。究極は『明智討(あけちうち)』、シテ(主人公)は秀吉。ワキの明智光秀と戦い(切組(きりぐみ))を見せ、成敗する。見事、信長の仇を討ったという実際にはなかった内容をドラマチックに盛り込む。それも自らがシテを演じたと記録(1回)が残っている。

稽古は当然、能役者が教え、能役者たちに知行や扶持(ふち)を与え始める制度までつくりあげたという。

実際に秀吉は能役者としてうまかったのか? 実は「下手」らしい。時の観世太夫が「あくび」「居眠り」をして、秀吉の知るところとなり観世家の宝物である「伝書」を取り上げられ、謹慎処分になったとか。どの曲だったか。ヒントはこれまでに記述したお好み曲の一番。上演回数が最も多いものである。

パトロンの始まりは足利義満

いまは企業イメージ向上の文化支援やボランティア活動そしてメセナ。いわゆるパトロンが存在する。室町文化の華は足利義満。3代将軍として絶大な権力を手におさめ、花の御所をはじめ北山文化の中心となり建造物としては金閣寺がいまに残る。能についても「恩人」だ。なにより観阿弥、世阿弥父子を支援したことが、現在の能につながっている。

能役者が庇護されることで、面、装束、楽器など周辺美術工芸品も高級化、高品質化の恩恵にあずかり、なにより能役者が生活苦から離れ、余裕ある暮らしから芸の洗練化を期待できた。まして世阿弥という天才の才能を伸ばし現在の能楽の礎を作ってくれたのが義満だった。ただ秀吉のように自分が舞うのではなく、あくまで鑑賞眼と見識の高さを誇っていた人なのだろう。

なんといっても、今日、能楽がこうして存在するのは、絶大な権力を持った江戸幕府のおかげである。多少の波乱はあっても250年の平和を維持し、国民の暮らしと文化の基礎を構築できた。秀吉が晩年愛した能を家康も拒まなかった。秀吉と家康が慶長元年(1596年)大阪城で『二人静』を演じた記録もある。家康は大和猿楽四座(よざ)を駿府に集め庇護を開始した。秀吉は四座のなかでも金春座を筆頭で愛したが、家康は観世座を贔屓(ひいき)にした。そして喜多流が加わり現行五座の基礎が固まった。

封建制には、不平等、農民の疲弊、富の偏重、身分制度の欠陥……マイナスイメージはたしかにある。ただ猿楽についていえば、秀吉の偏愛以上に、豊かな歴史と財産を構築できた年月といえるだろう。

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