「黒死病」流行後に欧州の労働者が経験したこと 食事、賃金、宗教、慈善活動はどう変わったか

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当時の西欧の観察者は、人びとの大量死によって賃上げ要求が高まったことにすぐに気づいた。カルメル会の修道士ジャン・ドゥ・ヴネットは、1360年ごろの年代記でペスト流行後の様子について書いている。

何でもふんだんにあるものの、価格は2倍だった。調度品や食料はもちろん、商品、賃金労働者、農業労働者、使用人などすべてがそうだ。唯一の例外は土地と家屋で、それらは現在でも供給過剰の状態にある。

 

労働者は3倍の賃金でも首を縦に振らなかった

作家のウィリアム・ディーンが書いたとされるロチェスター小修道院年代記によれば、労働者不足が続いたため、庶民は雇用労働など歯牙にもかけず、3倍の賃金で貴人に仕えるという条件にもなかなか首を縦に振らなかった。

雇い主はただちに、人件費の上昇を抑制するよう当局に圧力をかけた。イングランドが黒死病に襲われてから1年も経たない1349年6月、国王は労働者勅令を発布した。

住民の大部分、特に労働者と使用人(「召使い」)がペストで死亡して以降、多くの人びとが主人の窮状と労働者不足につけこんで、法外な給金をもらわないと働こうとしない……イングランドの領土に住むあらゆる男女は、自由民であれ非自由民であれ、身体が健康な60歳未満で、商売や特殊な技能の行使によって生活しているのではなく、耕す必要のある自分の土地からの不労所得がなく、他人のために働いているのではない限り、自分の地位とつりあう仕事を提供されたらその申し出を受ける義務が生じることを、ここに定める。その料金、仕着せ、支払い、給金は、わが国の統治の20年目[1346年]か、5、6年前の適切な年に、彼らが働いている地域で通常支払われていた金額でなければならない……多く受け取っていることが発覚すれば、牢獄行きとなる。

この勅令の効果は実際にはあまり上がらなかったようだ。それからわずか2年後の1351年、労働者制定法という別の法令で、こんな訴えがなされている。

先の勅令で述べられた雇われ人は、この勅令を無視して自分自身の豊かさや並外れた強欲さを優先している。20年目およびそれ以前に受け取っていた金額の2倍から3倍の仕着せや賃金をもらわない限り、偉人やその他の人びとのために働こうとしない。こうして、彼らは偉人に大変な損害を与え、あらゆる庶民を貧しくしている。

そして、このやっかいな状況を是正すべく、さらに詳細な制約と罰則が科されることになった。ところが、一世代も経ずしてこの施策も頓挫した。1390年代初め、レスターのアウグスティノ修道会の修道士、ヘンリー・ナイトンは年代記にこう書いている。

労働者はひどく思い上がっていて血の気も多いため、王の命令など気にも留めなかった。彼らを雇いたければ、その言いなりになるしかなかった。というのも、刈り取らずに農作物を失うか、労働者の傲慢さと貪欲さに迎合するか、2つにひとつしかなかったからだ。

もう少し中立的な言葉で言い換えると、政府の命令と抑圧によって賃金上昇を抑えようとする試みに対し、市場原理が勝ったということだ。雇用主、特に地主の個人的利益が、労働者に対して共同戦線を張ることによる強制できない集団的利益を上回ったからである。

イングランドばかりかほかの地域でも事情は変わらなかった。1349年、フランスも同様に賃金をペスト前の水準に抑えようとしたが、さらに早く負けを認めるはめになった。1351年には、改正法によって賃金を3分の1上げることがすでに認められつつあった。まもなく、人を雇いたい時は相場どおりの賃金を支払わなければならなくなった。

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