実際、世界は一変した。感染爆発のさなかとその直後には、人間の活動が低下した。長期的には、ペストとそれがもたらした混乱が、人びとの考えや社会制度に広く爪痕を残した。
つまり、キリスト教の権威が弱まり、快楽主義と禁欲主義が同時に繁栄し、恐怖と跡継ぎがいない者の死亡が原因で、慈善活動が増えたのだ。芸術のスタイルまで影響を受けた。医者は長年守ってきた原則の再考を迫られた。
最も根本的な変化は、経済領域、なかでも労働市場で起きた。黒死病がヨーロッパに達したのは、3世紀にわたって人口が大きく──2倍、時には3倍に──増加していた時だった。西暦1000年ごろから、技術革新、農耕法と収穫高の改善、政情不安の改善があいまって、定住が進み、生産性が向上し、人口が増えた。都市は大規模化し、数も増えた。
ところが13世紀後半には、この長期にわたる繁栄は自然に終息した。中世の気候最適期が終わりを告げると、生産性が低下し、需要が供給を上回りはじめたため、飢えた人びとが増加して食料価格が上がった。耕作に適した土地の拡大は止まり、牧草地が縮小したせいで、タンパク質の供給は減った。
同時に、ますます質素になる食事において基本的な穀物がそれまで以上に主要な食品になった。人口圧力によって、労働の価値が下がり、したがって実質所得が減少した。生活水準も、せいぜいのところ横ばいだった。
14世紀初めには、気候が不安定で収穫が減った結果、壊滅的な飢饉となって、状況はいっそう悪化した。人口水準は14世紀初めの25年間で下がったものの、生活が維持できるかどうかの危機はさらに一世代のあいだ続き、動物間流行病のせいで家畜が激減した。
労働力に対して土地が余るようになった
黒死病によって人口は激減したものの、物理的なインフラは損なわれずに残った。生産性が向上したおかげで、人口の減少ほど生産高は減らなかったため、1人当たりの平均的な産出量と所得は上昇した。
時おり主張されるように、ペストによって、本当に労働年齢にある人びとがそれより若いあるいは老いた人びとよりも多く命を落としたかどうかはわからないが、ともかく労働力に対して土地が余るようになった。
地代と金利は絶対的にも賃金比でも下がった。地主にとっては損だが、労働者は利益を望めそうだった。とはいえ、こうしたプロセスが実際の暮らしにおいてどう展開するかは、中世の労働者に有効な交渉力をもたらす制度と権力構造にかかっていた。
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