中村文則「僕は小説家だからこそ恐れずに言う」 安倍政権に疑念投げかける芥川賞作家の信条
戦時中の日本で、”うちの息子は戦地へ行ったのにあそこは行っていない”という相互監視が強まった。現代も”あそこは自粛しているのにここはしていない”という批判は、完全に社会正義の顔をしている。「時代はつながっているんですよね。戦時中も感動ポルノが多くて、日本は大丈夫だ、とにかく日本は絶対勝つと、人は自分の聞きたいことしか聞かず、マスコミもみんなが聞きたいことしか言わず、フェイクニュースも今に劣らずたくさん流されました。その結果のあれですから」
中村は、近代国家日本の成立にも疑念を感じていた。「今の政治の土台にあるのは明治だと思うんですが、今の政権は結局、明治時代の政治を幼稚に再現しようとしていると僕は考えているんです。明治はまだ新しいですし、日本古来の伝統ではない。小説でも、明治というちょうど日本が新しく始まるところでも起きていたキリシタン弾圧を書くことによって、日本の国家のスタートとはそもそもこんな感じだったというのを見せたかった。これもまた、現在とすごく共通していた」
『逃亡者』では、中村の筆は現在と過去、ヨーロッパとアジアを目まいの起きるようなスピードで走り抜け、暴力や狂気、ヘイトに満ちた暗い争いの歴史や政治をみるみるうちに巻き取っていく。すべてを連れて今の時代へと帰着させる技に、表層に満足せず事実を抉り込むような中村の歴史観、政治観の真骨頂を見るようだ。
「思い返すと、僕は18年前のデビューからずっと公正世界仮説には沿っていないものばかり書いてきました。人々が求める物語を聞かせるのは物語を作る側として本当にいいことなのか、本当に提示するべき物語とは何か。僕が今回、小説を書く際に立てた問いです。世の中に溢れている物語は公正世界仮説に沿っているものかそうでないかで大きく二分できます。日本の御伽噺しかり、ものすごく広がり受け入れられる物語は、大体沿っているんです」
「リベラルであるとは、生きにくい者の側に立つこと」
保守政権に厳しい視線を投げかける中村に、創作者としてリベラルであるとはどうあることかと尋ねてみた。「生きにくい人たちの側に立つ、全体に押し潰されそうになる個人を大切にするということが基本的なリベラルの立場だと思います。だから僕は今の政権のやり方を看過できない」。
「正直言うと、政権批判なんかやらないほうがよっぽどいいんですよ」、中村は目を落とす。
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