中村文則「僕は小説家だからこそ恐れずに言う」 安倍政権に疑念投げかける芥川賞作家の信条

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なんて幸せな人生なのだろうか。「ある意味そう見えるのかもしれない。だけど小説家って基本的に不幸だから小説家なのであって、小説を書いている人なんてほぼみんな不幸です(笑)。俺すっげえ幸せ、なんていう人が書いた本って面白いかな。いや、もちろん面白いものもあるだろうけど」

「“蓮は泥より出でて泥に染まらず”。この言葉を大切にしていきたい。いくら時代が悪くなっても、自分の精神までは汚されないように」(撮影:高橋 浩)

「基本的に不幸」と繰り返す中村は、だからなのか、成功に落ち着かないのだという。「出版界のいいところだけ取るっていうのが嫌で、だから政治とかリスクのあることを言うのかもしれない。でも僕なんかが言っても、政治的、社会的発言をしたときの無力感ったらないです。『逃亡者』に出てくるトランペットは”ファナティシズム(熱狂)”という名ですが、それはヘイトスピーチであるとか、人々を故意に煽動し誘導するものの象徴なんです。僕は、人を悪い方向へと誘導させて行く物語や文化とは対極にありたい。

そして……作中に出て来るアインというベトナム人の女性が大切にしている言葉があって、“蓮は泥より出でて泥に染まらず”というものです。たとえ周囲の泥が汚くても、蓮は美しく咲く。コロナ禍の果てに、これから社会全体が悪くなっていく時、この言葉を大切にしていきたいと自分では思っています。いくら時代が悪くなっても、自分の精神までは汚されないように。難しいですが」

出版界にはフェアな言論を試みる作り手たちがまだいる

最後に、中村はこんな種明かしをして驚かせた。「僕のこの小説があの『日本国紀』と同じ版元(幻冬舎)から出るのも面白いと思う(笑)。恐らくあの本と思想は真逆ですね。幻冬舎はあのときさまざまに誤解されたけど、本当はいろんなタイプの本を出していますよ」。フェアな言論を試みる作り手たちがまだいる限り、出版界にもフェアな言論がある。18年間、”公正なはずの社会という仮説”から逸れた数々の作品を世に送り出してきた反骨の小説家の言葉にも、希望の響きがあった。

河崎 環 フリーライター、コラムニスト

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かわさき たまき / Tamaki Kawasaki

1973年京都生まれ、神奈川県育ち。桜蔭高校から親の転勤で大阪府立高へ転校。慶應義塾大学総合政策学部卒。欧州2カ国(スイス、英国ロンドン)での暮らしを経て帰国後、Webメディア、新聞雑誌、企業オウンドメディア、テレビ・ラジオなどで執筆・出演多数。多岐にわたる分野での記事・コラム執筆をつづけている。子どもは、長女、長男の2人。著書に『女子の生き様は顔に出る』(プレジデント社)。

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