堀潤「私が大きな主語で語る風潮を警戒する訳」 私たちは知らないうちに加担してしまっている
2008年 秋葉原通り魔事件の凄惨な記憶
知らず知らずのうちに分断に加担している自分がいる。無自覚であってはいけないと思うようになったきっかけがある。
2008年。今から12年前の夏、荒川の河川敷で、ある男性にインタビューをした。20代後半のその男性は日雇い派遣として働いていた。
その年の6月8日、東京・秋葉原で酷い事件が起きた。日曜日の正午過ぎ、多くの通行人で賑わう歩行者天国の交差点に暴走したトラックが突っ込んだ。被害者は跳ね飛ばされた人たちだけではなかった。車を運転していた男は車を停車させると、奇声を上げながらナイフを持って逃げ惑う人たちに無差別に斬りかかった。防犯カメラは大通りを一斉に逃げ惑う大量の人たちの姿を映し出していた。
近くの牛丼屋に助けを求め駆け込む人の姿もあった。子どもを抱きかかえて逃げる父親もいた。7人が亡くなり、10人が重軽傷を追った。男は近くの交番から駆けつけた警察官たちによって、取り押さえられ逮捕された。市民が携帯電話で撮影した写真に写っていたのは、返り血を浴びた若者だった。細縁のメガネの奥に見えた瞳は虚ろだった。男の名前は加藤智大、犯行当時25歳だった。安定した職を得られず、派遣社員として各地を転々としていた。
この事件のことは忘れられない。事件の一報を受け、自宅のあった新宿から現場に急行した。子どもの頃から家族団欒の場所だった秋葉原。到着すると被害者が倒れ、血だまりがあちらこちらで広がっていた。救急隊員たちが中年の男性に懸命に声をかけ処置を続けていた。震えが止まらなかった。事件後は度々現場を訪ねて手をあわせた。加藤はなぜ犯行に及んだのか。なぜ事前に食い止めることができなかったのか、答えを探し続けた。
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