堀潤「私が大きな主語で語る風潮を警戒する訳」 私たちは知らないうちに加担してしまっている

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理由は、取材で話を聞いた男性たちの名前が思い出せなかったからだ。記憶の扉を開けて遡ろうとしたものの、1人ひとりの表情、取材場所の風景、言葉、日差しや風の吹き具合は覚えていても、どうしても名前が思い出せなかった。取材メモを探してみたが、資料は出てこなかった。思い出しても、思い出しても「派遣社員の男性」としか記憶になかった。

最低である。1人の人間のアイデンティティを属性でしか記憶していない。きっと当時もそのような意識だったのだと思う。寄り添うように見せて、尊厳を傷つけていたのは、私だ。10年以上経って、私は私が当時しでかしたことが恐ろしくなり、筆が全く進まなくなった。そんなつもりはなかった。しかし、こうやって当時、自分が相手に投げかけた質問の数々を振り返って、並べてみると、想像力のなさにただただ俯くしかなかった。

あちらとこちらを隔てる装置

加藤を犯行に追い込んだのは、誰だったのか。それはおそらく、私、私の中にある無自覚さだったように思う。悪意はなかった。そんなつもりもなかった。私はあちらとこちらを隔てる装置の1つだった。

私の意識を変えたのは、東日本大震災、原発事故だった。震災前から福島県への関わりがあった。事故から3年を迎える頃だ。ある番組で私はこんな発言をした。「福島では今も多くの人たちが苦しんでいます。忘れないでください」そんな呼びかけだった。

2014年秋の時点で原発事故による福島県内外の避難者数は13万人を超えていた。未だ、故郷を追われ、帰還の見込みさえつかない人が大勢いるんだということを伝えたかった。SNSへも同様の書き込みを行ったと思う。

「堀さん、被災地を想ってくれてありがとうございます。もっと伝えてください」という声をもらう一方で、批判も受けた。会津地方を訪ねた時だ。観光へのダメージが深刻だった。温泉街は客の減少に悩んでいた。会津若松で商店を営む若手経営者からはこう言われた。

「堀さん、いつまで被災地は、被災地は、って言うんですか? 福島は辛い、苦しい、しんどいって。福島の原発事故が、放射能が、って。この数年間、私たちが風評被害と闘ってきたのは知っているでしょう。福島県は広い。原発とここは100㎞も離れてる。事故直後だって、放射線の値はこの辺りは堀さんが住む関東とほとんど変わらなかったんじゃないですか? 福島は、福島はって、そういう伝え方はもういいんじゃないですか?」

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