具体的に、近代史の中では最も悲惨と言われる1930年代の大恐慌下のアメリカを例に考えてみたい。アメリカの大恐慌は、1929年に株価が大暴落したあと、フーバー政権が何の対策も打たずに静観したのが、大きな原因と言われている。さすがに現代において各国政府が何の手も打たずに静観して、このようになってしまうとは想像したくないが、さまざまな文献を参考に何が起きたのかをまとめると、ざっと次のようになる(『世界同時デフレ』(山田伸二著、東洋経済新報社)などから抜粋)。
・生産指数……ピーク時の半減(1929年:100⇒1932年:54)
・卸売物価指数……3割の下落(1929年:100⇒1933年:69.2)
・失業者数……最大1283万人(1933年)
・失業率……最大24.9%(1933年)
・金融機関……銀行倒産件数6000行
・株価……ピーク時から89.2%の下落
1933年には実体経済がズタズタに
1933年には実体経済がズタズタになってしまった。大量の失業者が家を失い、「フーバービル」と呼ばれたバラックを建ててコミュニティーを作ったとされる。
1932年には、とうもろこしの価格が4分の1になるなど食糧価格も大きく下落。その後の食糧難の原因にもなっていく。
フーバー大統領の次に登場したルーズベルト大統領が、有名な「ニューディール政策」をスタートさせ、貧困にあえぐ国民を救うための「連邦緊急救済局(FERA)」を設立した。1930年代の大恐慌下での最初の救済機関であり、最低限の生活費を給付するような機関だ。
『世界大恐慌――1929年に何がおこったか』(秋元英一著、講談社選書メチエ)によると、1933年10月に行われた「救済状況調査」によると、300万家族、1250万人、アメリカ全人口の10%がFERAに依存せざるをえなかった、と記録されている。
FERAの運用は、州などの地方自治体に任されたが、例えばニューヨーク州の1933年8月の救済金は一家族あたり23ドル。食費で消えてしまい、家賃が払えずホームレスになる家族が大量に発生したと言われる。
とくに1933年には、それまで政府の失業支援策を受けることを世間体から拒否していた独身女性までもが、空腹に耐え切れずに失業者救済のオフィスの扉をたたくようになり、政府もやっと事態の重大さに気づいたといわれる。
州によっては、食料品を現物支給するところも多かった。この直後からニューディール政策として400万人の雇用確保計画が始まる。アメリカでさえも大恐慌に陥れば国民全体が貧困になり、飢えるということだ。
ほかにもさまざまな文献を参考に大恐慌の歴史を振り返ってみよう。
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