ドイツのコロナ対応で強調される「連帯」の意味 メルケル首相「戦後これまでなかった事態」

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しかし、無数のこういう行動があってこそ、社会全体に殺伐とした感じは出てこず、むしろ安定性につながる。逆にもし連帯がなければ社会そのものが成り立たなくなる。

銀行のドアに貼られたポスター。握手をしないことを明記している(2020年3月18日筆者撮影、エアランゲン市)

悲しいかな、個人主義といっても他の個人との関係がまったくない「社会」では、1人きりで砂漠で生きていくようなものなのだ。

前述したように「(コロナ危機には)誰もが対応する責任がある」(バイエルン州首相)というのは、個人主義が成り立つ社会を維持する責任と読み替えることもできるだろう。

個人にも連帯という考え方が広がっている

個人が同様の発言をしたケースもある。感染の可能性のある医師が夫人とともに2週間自宅待機することになった。このとき、メディアの取材に対して「仮に感染してなくても自宅待機。社会に対する責任がある」と述べている。

大型小売店のショーウィンドウ。イースターに向けたデコレーションに休業のお知らせが貼られている(2020年3月18日筆者撮影、エアランゲン市)

個人も、より広い社会という感覚を持っているのがうかがえ、自宅待機は消極的な連帯とも解釈できる。ドイツは社会的な側面からは、こういう連帯という原理でコロナ危機を乗り越えようとしているわけだ。

3月18日に行われたメルケル首相の演説を見ると、「われわれはデモクラシーである」と述べ、それゆえ「強制からではなく、知識と参加によって生きている」と続けている。個人主義は決して個別主義ではなく、どうすればデモクラシーの国として成り立つのかを提示している。そんな中、連帯で乗り越えようとしているのだ。

市街中心地の庭園に来たがクローズ。「歴史的光景」を写真におさめる女性(2020年3月18日筆者撮影、エアランゲン市)

連帯はデモクラシーや個人主義など、国の構造と整合性のある団結原理だ。だから政治家の言葉に説得力が出てくる。「自粛」「要請」とはまた違う。

新型コロナウイルスはそれぞれの国や地域の政治、社会の構造、価値観を浮き彫りにする。まだまだ安心できない危機だが、収束したとき、どんな対策を講じたのか検証することは重要だ。

高松 平藏 ドイツ在住ジャーナリスト

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たかまつ へいぞう / Heizou Takamatsu

ドイツの地方都市エアランゲン市(バイエルン州)在住のジャーナリスト。同市および周辺地域で定点観測的な取材を行い、日独の生活習慣や社会システムの比較をベースに地域社会のビジョンをさぐるような視点で執筆している。著書に『ドイツの地方都市はなぜクリエイティブなのか―質を高めるメカニズム』(2016年)『ドイツの地方都市はなぜ元気なのか―小さな街の輝くクオリティ』(2008年ともに学芸出版社)、『エコライフ―ドイツと日本どう違う』(2003年化学同人)がある。また大阪に拠点を置くNPO「recip(レシップ/地域文化に関する情報とプロジェクト)」の運営にも関わっているほか、日本の大学や自治体などで講演活動も行っている。

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