宗教がわかってない人はこの4原則を知らない 何を信じ、礼拝し、服し、目指していくのか
多神教は概して押しつけがましくない一方で、チャリティーにも不熱心です。インドの多神教であるヒンドゥー教では、カーストと呼ばれる身分差別が肯定されていました。
寛容だが不平等を是認する多神教と、平等を目指すが不寛容な一神教――それぞれに美点と欠点があるわけです。
多神教の神々を超えたパワーの信仰として、一神教について説明しました。一神教はユーラシアの西半分(ヨーロッパ、中東)とアメリカに広がっています。
ユーラシアの東半分(インドや東アジア)では一神教への展開はあまり見られませんでした。この地域には多神教が濃厚に残っています。しかし、この地域では、悟りの宗教が発達しました。
・インドや東アジア地域 多神教+悟りの信仰
多神教を組み込み、悟りを目指したインド・東アジア
中東のほうで一神教が始まった頃、インド人はあらゆる生き物――人間のみならず動物も含む――の運命を司る〔輪廻〕の法則を信じるようになりました。一神教では、人は死後に神の審判によって天国か地獄に割り振られます。インドの場合、この審判の機能を果たすのは輪廻です。善人は好ましい生に生まれ変わり、悪人は悪しき生に生まれ変わる。それはすべて「自業自得」なのです。
また、修行することによって、この輪廻の束縛から逃れる(=解脱する)という思想もあります。輪廻から逃れた先に向かう理想的状態を、仏教では〔涅槃(ねはん)〕と呼び、ヒンドゥー教では〔ブラフマン〕と呼んでいます。
仏教の究極的理想は、悟りの境地である涅槃に至ること(成仏ともいう)であり、ヒンドゥー教の究極的理想はブラフマンに融合することです。
中国では〔陰〕と〔陽〕という2つの原理によって世界や人間の運命が転変すると考えました。陰陽の究極的な出どころを太極と言います。さらに儒教では〔仁〕が人の進むべき理想だと考え、そのための礼儀を尽くすことを勧め、道教では〔道(タオ)〕が人のならうべき見本だと考え、そのため無為自然に生きることを推奨しました。
つまり儒教や道教でも、1種の悟りを求めることを推奨しているのです。
仏教式の悟った人が「仏」で、儒教式の悟った人が「君子」で、道教式の悟った人が「仙人」です!
東洋における悟りという理想は、多神教の神々をも支配するものです。つまり、神々もまた悟りを求めて修行する必要があるのです。
キリスト教やイスラム教などの一神教は多神教の神々を蹴散らしましたが、インドや東アジアの宗教では、多神教を悟りの宗教の中に組み込みました。神々と人間がともに宇宙の理法にしたがい、それを悟ることを目指すというようなシステムです。
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