宗教がわかってない人はこの4原則を知らない 何を信じ、礼拝し、服し、目指していくのか
現代日本人にとって重要な宗教行事は葬式や法事でしょう。葬式にやってきた人々が皆死者の霊を文字どおり信じているわけではないでしょうが、「冥福を祈ります」と言ったり、「亡くなった○○さんが天国で見守ってくれる」などと言って遺族をなぐさめたりするのは、たとえレトリックだとしても、まだ生き続けているアニミズム型の文化です。
「無宗教」を称する日本人ですが、アニミズムの気分はまだ濃厚に残しています。どこそこで人形の供養をした、さらには道具やロボットの供養をしたなんて記事も見かけます。供養(=霊に何かを捧げること)をする以上、人形や道具には霊が宿っているのでなければなりません。
太古における農業の発明は、人間の動植物に対する優越意識を高めたようです。もはや人類は森林やジャングルの恵みに頼って生きていないからです。人間は種をまいたり、収穫したり、あるいは森林を焼いたり、水路を引いたりして自然をコントロールして暮らすようになりました。
霊的存在も、霊というよりは神と呼びたい存在となります。社会は格差化が進み、富裕な者や豪族が幅をきかすようになり、豪傑や王者のイメージが天界に投影されて、目に見えない王様のような姿の神々を各民族は拝むようになります。
かくして多神教のファンタジーが発達していきました。家ごと、村ごと、地域ごとにそれぞれ因縁のある個性的な神々を拝むわけですから、それらの神々を足し合わせれば多神教となります。また、神々は人間の願望の投影ですから、願望の種類だけ神々の個性も多様化するでしょう。そういう意味でも神々は複数存在することになります。
心理的効果ももたらした神々の信仰(多神教)
多神教のファンタジーにおいては、豊穣の神を拝めば、雨を降らし、農作物を実らせてくれます。戦争の神を拝めば、戦争に勝たせてくれるのです。
昔の人々がどこまでこうした神々の効能を期待していたかは怪しいとは思います。神に向かって雨乞いしたとしても、雨が降るとは限らないからです。しかし、今日でも人々は神社に合格祈願の絵馬を奉納したり、占いを「信じ」たり、疑似科学的な健康法を試したりしています。人間は生の現実よりもファンタジーを信じたがるもののようです。
神々の信仰の多くは共同体の行事です。だから神々を信仰するという形で人々の共同意識を高めるという効果もあります。雨乞いに気象学的効果はないとしても、お祈りの行事をするとき、村人たちが危機感を共有できます。戦いの神に戦勝祈願するときも、兵士たちの士気は上がります。
そのような心理的効果があるのであれば、神の信仰にも立派な社会的機能があることになります。今日では、スポーツ観戦や国家行事における集団的熱狂やナショナリズムの盛り上がりのようなものが、神々を崇める行事に似ていると言えそうですね。
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