全盲の19歳娘を育て「居場所」作る母のリアル 私は「地域で一緒に」という言葉に救われた

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岡田さんと幼い頃の長女(写真:岡田さん提供)

――その後はどんなふうに状況を受け止めてきたのでしょうか。

そうなると今度は現状を否定して、「治してみせる」という気持ちが湧いてくるんですよね。もう20年ぐらい前のことになりますが、再生医療のことまで調べてお医者さんに話を聞きに行ったり、評判のいい医療機関に行ってみたりしました。ですが、どこへ行っても「もう治りません」と言われて、そこでまた落ち込むわけです。そこから徐々に現実を受け止めないと、と思うようになっていきました。

「もう障害があるのは仕方がない」と思ってからは、視覚障害について勉強しなきゃと張り切っていろんな本を読みました。でも、それが逆に自分を追い詰めていた時期もあったんです。

視覚障害者に関する本は、ピアノやバイオリンができるなどエリートといわれるような方々の本が多かったのですが、同じようにはいかないので……。それから、うちの娘の場合は「盲重複」と言って、視覚障害だけではなくて知的障害もあります。なので、一般的にイメージされる視覚障害者とは少し違いがありました。

「大丈夫、治るよ」という言葉は励みにならない

――周囲から言われて、傷ついた言葉や嬉しかった言葉はありますか。

最初の頃は「治すんだ」という気持ちと、「受け入れなきゃ」という気持ちがあって、ずっと葛藤していました。子どもが生まれたばかりで、ただでさえ不安定な精神状態だったので、今思えば狂ったようになっていたんじゃないかと思います。

そういうときに、親や親戚から「治るから大丈夫」と言われるのは辛かったですね。自分にもそう思いたい気持ちはあったのですが、他の人から言われると自分の娘を否定されているように聞こえてしまって。

ただ今思えば、そのときはきっと何を言われても辛かっただろうなとも思います。

(写真:リディラバジャーナル編集部)

娘が盲学校に通うようになってからは、嬉しかったこともありました。盲学校には乳幼児を対象にした教育相談があったので、親子で通っていたんですね。ただ、盲学校にはきょうだいを連れてこないでくださいと言われてしまったんです。うちは全盲のある長女が2歳のときに次女が生まれていたので、さて困ったなと思って、下の子を預かってくれるところを探しました。

そのときに見つけた保育所の経営者の方が、たまたまダウン症のお子さんを持つお母さんだったんです。私が事情を話すと、「良かったら、お姉ちゃんも一緒に来ない? 子どもって、地域で一緒に育てるのがいいんだよ」と言ってくださって。まさか上の子に対してそんなことを言ってもらえるとは思っていなくて、それがいちばん嬉しかった言葉です。

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