仕事のできない人は「アート」の価値を知らない 正解、利便性、失敗の持つ意味が変わった
このような現象はカメラ、調理器具、ホテル、自動車など多くの市場において観察されます。つまり現在の世界では「便利さの価値」がデフレしている一方で、情緒やロマンを伴う「不便さの価値」は大きくインフレしている、ということです。このような世界において、大きな価値を生み出していくためには「機能的価値=役に立つ」から「情緒的価値=意味がある」に向けて「価値の軸足」を切り替えていく必要があります。
さて、これは大変に困ったことです。というのも、これまで日本企業の多くは「便利さ」という価値を世の中に生み出すことで富を創出してきたからです。今後、どのようにすれば「豊かさ」という価値を世の中に生み出すことができるのでしょうか。最大のポイントになるのは経営管理・意思決定のあり方でしょう。
「便利さ」を高めることで価値を生み出すことはある程度、予定調和的に実行が可能です。社会や顧客が抱えている「不便さ=問題」を市場調査やヒアリングなどによって精密にスキャンすれば、その「不便さ」にどの程度の普遍性があり、解決することでどの程度のリターンが得られるのかを推計することはそれほど難しいことではありません。
「意味を作る」というビジネスには不適合
しかし、社会や顧客からあらかた「大きな問題」が片付いてしまうと、このアプローチは突然に機能不全を起こすようになってしまいます。端的に言えば、その問題を解決したとしても大してお金を払ってくれないような卑小な問題を見つけてきてはチマチマと解いて些少な対価を得る、という状況になってしまうわけです。
当然ながらこのような状況では企業業績は悪化してしまうので、価値の創出を「便利さ」から「豊かさ」へとシフトすることが求められるわけですが、ここで「豊かさ」は市場調査によって把握することもできないし、予定調和的にリターンの大きさを推計することもできない、という問題が立ち上がってくることになります。
つまり、これまでの経営管理・意思決定のあり方は「意味を作る」というビジネスには極めて不適合なのです。
では世の中において「意味的な価値」を最も強く、深く追求している人々は誰かと考えてみれば、それはアーティストだということになります。特に20世紀後半以降、アートの本質的な価値は「コンセプト=意味」になりつつあります。18世紀以前のアーティストが技巧的な価値あるいは主題的な価値をアートに込めようとしたのに対して、20世紀後半以降のアーティストたちは徹底的に「意味的な価値」を追求します。
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