仕事のできない人は「アート」の価値を知らない 正解、利便性、失敗の持つ意味が変わった
今日の社会において、ますます「役に立つ=機能的価値」がデフレし、一方で「意味がある=情緒的価値」がインフレするのであれば、そのような価値創出の方法をアーティストの思考様式・行動様式から学ぶというのは極めて合理的なことでしょう。
最後に「アート的な思考がビジネスの世界にも求められる」3つ目の理由について考えてみましょう。それは「失敗のコスト」が極めて低くなっているからです。ビジネス的思考様式とアート的思考様式の違いはさまざまな側面に現れますが、最も明白な側面が「失敗のコスト」に関する考え方です。端的に言えば「ビジネスにおける失敗」は極めてコストが大きく、「アートにおける失敗」は非常にコストが小さいということです。
もっともこれは「かつて」という時制を加えて指摘するべきかもしれません。というのも、現在の社会では、ビジネスにおいても「失敗のコスト」がどんどん低下しているからです。例えばアマゾンは上場以来、およそ70の新規事業に進出し、そのうち3分の1は失敗して早期に撤退しています。なぜこんなことが可能になったかというと、事業リソースを内部化せず、適時・適宜に外部から調達することが可能になったからです。
「失敗」に関する認識の転換が必要
ビジネスにおいて失敗が忌避されるのは、その後の清算に非常にコストがかかるからです。工場を設置して人を雇ってしまえば、ビジネスが失敗しても工場と人に関する固定費を清算することは容易ではありません。
ところが、現在の世の中は極めて柔軟に人材・テクノロジー・資金・技術を外部から調達するためのインフラが整いつつある。このような社会になってなお、かつてのように「石橋を叩いて渡る」ことで失敗をなんとしても回避しようとすると、失敗のコストよりもむしろ機会コストのほうが大きくなってしまいます。つまりビジネスに関わっている私たちは「失敗」に関する認識を切り替えるべき時期に来ているということです。
ビジネスとは対照的に、アートにおける失敗は、むしろ慎重になりすぎることでリスクを取れず、結果的にユニークさを発揮できなくなってしまうことです。カリフォルニア大学の心理学者ディーン・サイモントンは、数多くの天才に関する研究から「天才が最高傑作を生み出す時期は、そのアーティストや科学者の最もダメな作品が出る時期と重なっている」ということを明らかにしました。
これはつまり、そのアーティストや科学者にとっての「最高傑作」というのは後付けの評価でしかなく、彼らの戦略としては「結果的に外れるかも知れないけどリスクを取った作品をたくさん生み出す」ということが重要だということを示唆しています。
失敗のコストがどんどん低下し、むしろ「慎重になりすぎることの機会コスト」が失敗のコストを上回るような時代になりつつある今、アーティストたちがしばしば見せる「失敗に関する寛容な態度と考え方」から私たちが学べるものは少なくありません。
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