論語を古いと思う人は本質が全然わかってない 孔子が直接ことばを書いて残していない理由

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いまなぜ『論語』がブームなのか(イラスト:cooltree/PIXTA)
『論語』が、いまブームとなっている。明治の偉大なビジネスマンである渋沢栄一が敬愛したことでも知られ、ドラッカーなど世界で読まれるビジネス書の中でも引用されており、その一部を読んだ経験のある人も多いだろう。2500年前に書かれたとされる『論語』は、数多くの政治家、経営者、学者、思想家……各界のリーダーたちに長きにわたって影響を与えてきた。その魅力とは、何か?
高橋源一郎氏による『論語』の完全版現代語訳『一億三千万人のための『論語』教室』から序文の一部を抜粋する。

「お、おもしろい……これ」

ざっと20年ほど前、20世紀から21世紀に移り変わる頃、ある編集部から『論語』を翻訳しませんか、という依頼がありました。「世界の大古典」というような大きな企画だったと思います。そこでは、『聖書』や『コーラン』も登場する予定でした。

けれども、そのプロジェクトは、いつの間にかなくなりました。まあ、よくあることなんですが。

声をかけられたぼくは『論語』を読み、びっくりしたのです。お、おもしろい……これ。

『論語』なんていうと、確かに、ものすごく有名で、昔のエライ人はみんな読んでるし、というか、日本でも中国でも、ものすごく長い間、勉強するうえでの超必読文献だったし、その中の名言だっていまもずいぶん使われています。

「巧言令色(こうげんれいしょく)には、鮮(すくな)いかな仁(じん)」とか「十有五(じゅうゆうご)にして学に志(こころざ)し、三十にして立ち、四十にして惑(まど)わず」とか。もちろん、意味もなんとなく知っている。こういうことばを作った孔子先生という人は、まあ、人生のキャッチコピーを作った人なんだろう。その程度の関心しかなかったのです。

あまりに有名だと、妙な情報ばかり入ってきて、わかった気になってしまう。『論語』も孔子先生も、ぼくにとって、そんなものの代表だったのです。正直にいって「古い」と思ってました。親孝行をしろとか、君主を大切にしろとか、なにいってんの、って感じです。こんなものを読んで喜ぶのは、功成り名遂げた経営者の「おれスゴくね?」的伝記本の読者ぐらいじゃないか。なんとなくそう思っていたのです。

でも、ほんものの『論語』はちがいました。ぜんぜん、ちがう。

そして、もともとの企画がなくなっても、ひそかに、『論語』を現代語に「翻訳」する作業を続けていたのでした。

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