論語を古いと思う人は本質が全然わかってない 孔子が直接ことばを書いて残していない理由

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その間に、すっかり孔子先生と仲良くなってしまったので、ぼくは、孔子先生のことを、親しみをこめて「センセイ」と呼ぶようになりました。

最初は気難しかったセンセイも、だんだん心を開いてくれるようになって、そして、いつしか、ぼくの相談に乗ってくれるようになりました。はるか時を超えて、です。

1つだけ例をあげてみますね。

こんな短い一節があります。

「子曰く、君に事(つか)うるに礼を尽せば、人は以て諂(へつら)いとなすなり」

ぼくがいちばん頼りにしていた宮崎市定さんの『論語』では、こんなふうに訳されています。というか、これだけ。後は何もなし。

「子曰く、君主の前へ出て礼儀どおりにすると、今の人はそれを卑屈にすぎると言う」

うん。そうなんだろうな。まちがってはいない。でも、なんだか、物足りない。そんな気がするんです。

ほんとうに伝えたかったメッセージは?

だから、ぼくはセンセイの顔をじっと眺め、要するに、この『論語』全体でセンセイがなにを言おうとしているのかをずっと考えたのです。この、短いことばの中で、センセイがほんとうに伝えたかったメッセージはなんだろうって。

そして、ぼくが書き留めたセンセイのことばは、こうなったのでした。

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「君主の前で、礼儀通り、きちんと挨拶(あいさつ)をすると、いまの人は、そういうのって『卑屈』じゃないか、っていいますね。そういう考え方もあるでしょう。『権威』の前に頭を下げるなんてダメだ、という人も多いですね。

わたしは、逆に、その考え方こそ、単に形式を重んじていると思うんです。あなたが、誰かに会うとするでしょう。その人がどんな人物なのかわからない。だったら、その人がどんな考え方で、どんなすごい人なのかわかるまで、きちんと応対しないんですか? そもそも、ある人の『中身』がどうなのか、どうすればわかるんです? いや、『中身』がないから、尊敬しなくていい、っていうんですか?

『礼』の本質は、形式にあるのではありません。その人がそこにいる、そのことだけで、リスペクトできる、と考えるのです。わかりますか? それは、そこにいるその相手への、深い気配りであり、思いやりでもあるのです。

そして、そのことによって、その相手も、尊敬されるべき存在へとなってゆく。そういうダイナミックな思考こそ、『礼』なんです。知らない人だから尊敬しなくていい、それでお終(しま)い、という考え方と、どちらが素敵か、ちょっと考えればわかるんじゃないですか」

センセイがいま、突然、ぼくたちの前に現れ、世界でなにが起こっているかを知ったら、きっとこう言ったと思います。

「やれやれ、わたしが生きていた頃とほとんど変わってないんだねえ」

高橋 源一郎 作家

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たかはし げんいちろう / Genichiro Takahashi

1951年広島県生まれ。作家、明治学院大学名誉教授。横浜国立大学経済学部中退。81年『さようなら、ギャングたち』で群像新人長編小説賞優秀作となる。88年『優雅で感傷的な日本野球』で三島由紀夫賞、2002年『日本文学盛衰史』で伊藤整文学賞、12年『さよならクリストファー・ロビン』谷崎潤一郎賞を受賞。著書に『ぼくらの民主主義なんだぜ』『ゆっくりおやすみ、樹の下で』『たのしい知識 ぼくらの天皇(憲法)・汝の隣人・コロナの時代』『ぼくらの戦争なんだぜ』ほか多数。

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