論語を古いと思う人は本質が全然わかってない

孔子が直接ことばを書いて残していない理由

みなさんは、ご存じないかもしれませんが(ぼくも知りませんでした)、『論語』っていうのは、一筋縄ではいかない本なんです。まず、元の漢字の読み方から、いろんな解釈がある。だから、当然、その中身だって、それを翻訳する人によってかなり、いや、まるでちがう。っていうか、バラバラです。

さらに、もう1つ大切なことがあります。孔子先生は、全部を言わないのです。

そうそう、書き忘れていましたが、『論語』は、孔子先生が主宰している私塾での講義録を中心に、先生がいろんなところで話したことばを採録したものです。

聖書に福音書ってありますよね。「マタイによる福音書」「マルコによる福音書」「ルカによる福音書」「ヨハネによる福音書」ってやつです。あれもみんな、キリストの弟子が、キリストのことばを書き留めたもの。だから、みんな、少しずつちがいます。

いま、ぼくたちが「ソクラテス」の本だと思って読んでる『パイドロス』とか『饗宴』とかだって、みんな、弟子のプラトンがいわば「口述筆記」したものです。

キリストもソクラテスも、そして、孔子先生も、直接ことばを書いて残したりはしませんでした(孔子先生は『春秋』という歴史書を書いたという説もありますが、疑わしいといわれています)。どうしてなんでしょうか。

もしかしたら、書いたことばとして残すと、それを読んだみんながその文字にとらわれてしまって、もともと大切にしていた「思い」を忘れてしまうかもしれないと危惧したんじゃないでしょうか。

作家は伝えたいことを直接には書かない

それならぼくにもわかります。ぼくたち作家は、「あること」を伝えようと思ったら、そのことを直接には書かない。間接的に、ほのめかすように、そのことに気づいてもらいたいからヒントは書くけれども、全部は書かない。それは、読者にも参加してもらいたいからです。

小説は、作者と読者が協力してつくり上げるプロジェクトだからです。

『論語』も『聖書』も『パイドロス』や『饗宴』にも謎が残っています。だからこそ、2000年以上もの間、人々は、この難攻不落の高峰にアタックし続けてきたのかもしれません。

正直に言います。『論語』の翻訳を、細々と初めた頃、孔子先生がほんとうはなにを言いたいのか、まったくわかりませんでした。意味はわかりました。現代の日本語に翻訳することもできました。でも、自分で訳した文章を見て、「なに、これ?」と思ったのです。そして、決めたのです。

孔子先生が言うことがわかるまで決してこの人のもとを離れまいと。そう、ぼくは、2500年前の孔子先生の弟子たちがそうであったように、黒板の前で(そんなものなかったかもしれませんが)、ぼくたちのほうを見ながら、なにかを伝えようとしている先生の言葉を食い入るように聞いたのです。

その作業は中断をはさんで、ざっと20年続きました。

次ページはるか時を超えて、相談に乗ってくれるように
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