五代目立川談志は祖父小さんの弟子だったが、反旗を翻して落語協会を脱退し「立川流」を作った。しかし花緑には優しかった。
「“おい、孫、こっち来い”なんて言って。怖そうな方ですが、すごく親切で。で、筆まめでね。しょっちゅう礼状書いたりとか。みんなこれでハートをつかまれちゃうらしいんですけど。談志師匠は、祖父のことが好きすぎて仲違いしてしまったんじゃないかと思います。僕は可愛がってもらいました」
こうして柳家花緑独特の芸風が形作られていった。
「後世に残る芸能をやっていくのか、もっと今の人を熱狂させるものをやるのか。どっちなんだ?と悩んだ揚げ句に通好みはやめよう、と。笑福亭鶴瓶師匠が“鶴瓶ばなし”をされて、それが落語になっているじゃないですか。“あの人面白いから見にいこうよ”っていうのが落語の原点じゃないですか?」
「持参金」で桂米朝をしくじった!
花緑には、師匠小さん譲りの演目も多いが、いずれの噺も一度十分に咀嚼して、自分なりの解釈をして「仕立直し」をしている。だから「お見立て」「粗忽長屋」「初天神」「長短」などの古典落語もみんな、みずみずしくて新しいのだ。
花緑がよく高座にかける噺に「天狗裁き」がある。上方の噺で三代目桂米朝が復刻したものだ。ストーリーがわかりやすく、笑いも多い「おいしい噺」だ。
桂米朝は常々この「天狗裁き」について「わしがやるとおり、そのままやったらええのや。ちゃんと受けるようにできてるのやから」と言っていた。弟子にも一字一句変えないように教えるのが常だった。
花緑はこの噺を手がけるにあたり、例によって自分なりに解釈し、上方弁を東京弁に変えた。この世界の仁義として、高座にかける前に、米朝宅に伺って師匠の前で演じることになった。米朝の息子の五代目桂米團治(当時小米朝)が立ち会った。
「米朝師匠は机の前でペンを持って僕の噺を聞いていた。でも、途中からペンを机において、二度と上がらなかった。で、終わると一言。“好きにやりなはれ”。もう完全にしくじっているわけです(笑)。それでも“まあ、いいからこっち来て酒飲もう”と言ってくださったけど“下戸で酒が飲めません” “酒も飲めんのかい”って(笑)。
米團治兄貴には米朝師匠がちょうど席を外したときに“花緑君ね、あの奉行のところは全部、ちゃんと親父のコピーしてくれ、あそこを変えてしまうと、米朝に習った意味がないから”って言って」
このコラムでは米團治も取り上げたが、ともに偉大な身内を師匠にした者同士の心の通い合いを見るようで、誠に微笑ましい。
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