「手紙で人を口説く達人」秀吉の筆まめ文章術 相手を「感動させる」という点に優れていた

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さらに秀吉は、何を勘違いしたのか、自分に対して盛んに敬語を使っており、自分が許すことを「御ゆるし」と書き、自分が思ったことを「おぼしめし候」と述べ、署名も「てんかさま」と、敬語の使い方に頓着のない記述を、恥じらう様子もなく使用しています。

一見、軽薄と無教養に思われますが、これが秀吉の「文章術」だったのです。文章レベル自体は、読み書きができる最低限のものでしたが、このいい加減な書き方に、彼は情感をたっぷり乗せて、人々を魅了したのでした。

なぜ秀吉は積極的に手紙を活用したのか?

文章で人の心をつかむには、「相手目線で書くこと」が重要である。それは、秀吉の文章を読んでも感じます。彼の文章は、「相手を感動させる」というテーマを外すことなく、実に優れていました。

秀吉としては、「自分は成り上がり者で、武芸に長じているわけではない。いざという時に助けてくれるのは、培ってきた人脈だけだ」との思いもありました。だからこそ、対面のコミュニケーションを重視する一方で、人脈を維持するために積極的に手紙を書き、コミュニケーションを取り続けたのです。

一例を紹介しましょう。

次に示す手紙は、「天下布武」に王手のかかった主君・信長が、京都で華々しく実施した、「馬揃え」に出場できなかった秀吉が、信長の側近である長谷川秀一(ひでかず)に宛てた、「詫び状兼感謝の手紙」です。現代語訳でお読みください。

「馬揃えの壮大さを聞いて、驚きました。それだけの儀式に参加できなくて無念で仕方がありません。せめて、参列者の仕立てを教えてください。私も、城の普請がようやく出来上がってきました。そのうちお目にかかれます。その節は、よろしくお願いします」

天正9(1581)年2月28日、信長は京都で、第106代正親町〈おおぎまち〉天皇の前で、一世一代の大デモンストレーションを行いました。「馬揃え」とは、現代風にいえば軍事パレードのことです。

この織田家のビッグイベントに、秀吉は中国攻めのさなかであるうえに、姫路城の改築中で、出場できませんでした。そのことについて、信長の側近である長谷川に手紙で謝意を伝えているのです。信長本人や、筆頭家老の柴田勝家に詫びるのならわかりますが、側近にまで手紙を出すというのは、なかなかできることではありません。

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