「手紙で人を口説く達人」秀吉の筆まめ文章術 相手を「感動させる」という点に優れていた

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長谷川は三木城を攻める織田家中国方面軍の様子を見聞して、信長に報告しました。天正6(1578)年のことです。実は、この三木城攻めは約2年かかり、戦国時代の城攻めにおける長期戦として有名ですが、秀吉は城を取り囲み、兵糧を完全に断って、ようやく落城させることに成功しました。

合戦上手の秀吉ですら、それほど手こずったのですが、この間、短気なイメージも強いあの信長が、「いつまでかかっているんだ」と激怒することなく、珍しくじっと待っていました。その裏には、長谷川の秀吉に対する好意的な報告があったのです。

秀吉は戦略的に城攻めをしており、いずれ必ず落城させるだろう、と具体的な証拠を列記しました。長谷川の好意的な報告がなければ、秀吉は中国攻めの方面軍司令官を解任されていたかもしれません。

秀吉の文章術は現在でも通じる

この長谷川が、秀吉に貢献してくれた決定的な場面があります。それが冒頭でも少し触れた「本能寺の変」です。この一大事を、いち早く秀吉に手紙で伝えたのが長谷川でした。主君の信長が明智光秀に討たれた折、長谷川は堺見物に出た徳川家康の一行をもてなすため、信長の許を離れていました。ゆえに彼は命拾いをしたのですが、この第一報を、誰に急送するか。運命を分けたのは、秀吉の日頃からの交際でした。もし、この急報がなければ、秀吉は天下を取れなかった可能性もあるのです。

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秀吉は、手紙で相手を褒め、時には自虐やユーモアも入れて、読んだ人間が喜び、心に残るように、考え抜いて書きました。受け取った人は、「ああ、この人は自分のことをわかってくれているな」と思うと、心が動き、初めて感動が生じるのです。

この秀吉の文章術は、現在でも通じるでしょう。現代人は日々、大量のメールをやりとりしていますが、その中に、人の心に残る文章やフレーズがどれだけあるでしょうか。一方的に、こちらの意思を伝えるだけの内容になっていないでしょうか。あらためて振り返りたいものですね。

加来 耕三 歴史家、作家

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かく こうぞう / Kozo Kaku

歴史家・作家。1958年大阪市生まれ。奈良大学文学部史学科卒業後、同大学文学部研究員を経て、現在は大学・企業の講師をつとめながら、独自の史観にもとづく著作活動を行っている。『歴史研究』編集委員。内外情勢調査会講師。中小企業大学校講師。政経懇話会講師。主な著書に『日本史に学ぶ一流の気くばり』『心をつかむ文章は日本史に学べ』(以上、クロスメディア・パブリッシング)、『「気」の使い方』(さくら舎)、『歴史の失敗学』(日経BP)、『紙幣の日本史』(KADOKAWA)、『刀の日本史』(講談社現代新書)などのほか、テレビ・ラジオの番組の監修・出演も多数。

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