大川小津波訴訟、遺族側の勝訴が変える学校安全 子どもの命を守る学校の責任は重い
海岸から4キロほど離れた宮城県石巻市釜谷地区の北上川の近くに立つ石巻市立大川小学校。子どもたちが笑顔で過ごしたであろうその学び舎は、現在、2011年3月11日に発生した東日本大震災による津波の悲劇を伝えるモニュメントとして多くの訪問者を受け入れている。大震災による津波で児童108人のうち70人が死亡、4人が行方不明となり、教職員10人が死亡した。
津波で犠牲になった大川小児童の遺族のうち19家族29名の保護者が市と県に損害賠償を求め、2014年3月10日に国家賠償訴訟を仙台地裁に起こした。訴訟は最高裁まで持ち込まれ、最高裁は2019年10月10日、市と県の上告を棄却し、市と県に約14億3600万円の支払いを命じた二審・仙台高裁判決が確定した。
これを受け、12月1日になって石巻市の亀山紘市長が遺族に謝罪、大川小を訪れて、慰霊碑の前で黙祷をささげた。
震災当日何が起こったか
大川小の児童総数は108名、震災当日は欠席・早退等の5名を除き、103名の児童が授業終了まで在校していた。教職員は総数13名、校長は娘の中学校の卒業式に出席するため、午後から休暇をとり不在だった。震災当日は教頭と教務主任、各学年主任を兼ねる担任教諭および養護教諭の11名が在校していた。
大地震から51分後に津波が大川小に襲来、70名の児童(学校管理下69名、欠席者1名)と教員10名が死亡し、早退していて被災した1名を含め4名の児童が現在も行方不明となっている。
当時、大川小では、地震発生から津波到達までは51分間あり、街では津波の襲来に警戒して防災無線などでも「津波が来ます。高台へ逃げてください」という案内もあり、児童たちからも「避難をしたい。裏山へ逃げたほうがいい」という声があったものの、教員の判断で校庭にとどまっていた。50分ほどして、川に近い「三角地帯」に移動を開始し、その直後に津波に巻き込まれた。
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