孤立する高齢者が人間らしく生きるための支え 居場所が自然と生まれる仕組みが必要だ

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井手:本来なら、その子の生活環境も含めて、ソーシャルワーカーがアプローチするべきです。にもかかわらず、専門職を学校に配置して話を聞けば、子どもが再び登校できるようになるといった安易な議論がされています。これじゃあ、期待を押しつけられた専門職の人たちもかわいそうです。

井手英策(いで えいさく)/1972年生まれ。東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。日本銀行金融研究所、東北学院大学、横浜国立大学を経て、現在、慶應義塾大学経済学部教授。専門は財政社会学。総務省、全国知事会、全国市長会、日本医師会、連合総研等の各種委員のほか、小田原市生活保護行政のあり方検討会座長、朝日新聞論壇委員、毎日新聞時論フォーラム委員なども歴任。著書に『幸福の増税論 財政はだれのために』(岩波新書)、『いまこそ税と社会保障の話をしよう!』『18歳からの格差論』(東洋経済新報社)ほか多数。2015年大佛次郎論壇賞、2016年慶應義塾賞を受賞(撮影:尾形文繁)

佐々木さんの話で言えば、なぜそのお年寄りが熱中症になったのか理由を探っていって、これだというものを特定し、地域ぐるみで気にかけていく。そうすれば、この人は以前より幸せになれると思うんですね。そこにおいては在宅医療もソーシャルワーカーの役割も、何も変わらない。

ただ、医療の世界と福祉の世界の間には、高い壁があるように見えます。

僕の友人に聞いたのですが、認知症がみられるおばあちゃんが独り言を繰り返していて、職員さんが思いついて編み物をさせてみたら、それに夢中になって、やがて周囲の人ともコミュニケーションをとるようになったというんです。

ところが、大腿骨を骨折して病院に入院したところ、認知症の症状が悪化してしまい、最後は誤嚥性肺炎を起こして亡くなってしまった。このように、福祉の領域から医療の領域へと移動するときに、連携がうまくいかないことがあると思うんです。

福祉でも医療でも、それぞれが専門性をもって仕事をしていて、少しでも状態をよくしようとしているわけですが、どこかで専門性の壁に分断されていて不具合が生じているように思えるのですが、この点、いかがでしょうか。

多職種連携の理想形とは

佐々木:ご指摘にあった多職種連携のあり方ですが、お互い話し合って、よりよいケアを実現することが大事だとわかっている人が以前より増えてきたと思います。

ただ、病院での医療となると、医師の指示のもとに看護師や理学療法士などの医療スタッフがテキパキと治療を進めて、患者はまるでベルトコンベヤーで運ばれるように退院していくというのが、いまの主流なんですね。

それに対して在宅医療の場合は、こういうふうに暮らしたいという患者さんの希望に沿って、どこまで何ができるか、一緒になって考えていく。病院では食べては駄目だと言われたうな丼も、これぐらいなら大丈夫だから食べてみましょうとか、高血圧の薬が効きすぎているから、少し減らしましょうとか、働きかけていくわけですね。

病院ではお医者さんが上から指示を出す形ですが、在宅医療における医者は、サッカーでいえば、ゴールキーパーだと思うんです。ほかの職種の人や家族が、フォワードとかミッドフィールダーで、そうした方たちが連携して、ゴールという共通の目標に向かって頑張っていく。もしシュートを打たれたら、キーパーたる医者が責任をもって止めるから、自由にやってくださいというのが、私の考える多職種連携の理想です。

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