イチローが最後に語った「後悔しない」生き方 「自分の限界」を超え続けた28年間の野球人生

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ある時までは、自分のためにプレーすることがチームのためにもなるし、見てくれている人も喜んでくれるかなと思っていたんです。

ニューヨークにいった後ぐらいから、人に喜んでもらえることが1番の喜びに変わっていったんですね。ファンの方なくして、自分のエネルギーは「生まれない」と言ってもいいと思います。

イチローが誇らしいと語った「試合に出ない日々」

 日本で9年、アメリカで19年間、通算3604試合の選手生活で、数々の記録を打ち立てたイチロー選手。日本での首位打者7年連続1位、メジャーリーグでは、シーズン最多262安打、10年連続200安打など、いまだに破られていない記録も。しかし輝かしい記録より、試合に出られなかった日々が「誇らしかった」と語ります。

――選手生活で、印象に残っていることは何ですか。

去年の5月以降、(特別補佐に就任し)ゲームに出られない状況になった。それを最後まで成し遂げられなければ、今日のこの日はなかったんです。

今まで残してきた記録はいずれ誰かが抜いていくと思いますけど、去年の5月からシーズン最後まで、(公式戦に出られなかった)あの日々は、もしかしたら誰にもできないことかもしれない、というささやかな誇りを生んだ日々だったんですね。

どの記録よりも、自分の中ではほんの少しだけ誇りを持てたと思います。

 ――イチローさんが、今日まで貫いたことはなんですか。

野球のことを愛したことだと思います。

子どもの頃から、プロ野球選手になることが夢で、最初の2年は1軍に行ったり、2軍に行ったり。1994年、3年目に(オリックス)仰木彬監督と出会って、レギュラーで初めて使っていただいたんだけど、この時までですね。純粋に野球が楽しかったのは。

力以上の評価をされるというのは、とても苦しいんですよね。

もちろんやりがいがあって達成感、満足感を味わうことはたくさんありました。ただ「楽しいこと」かと言われると、違うんですよね。

皮肉なもので、プロ選手になった後には、また違うことを夢見ている自分が、ある時から存在しました。

中途半端にプロ野球生活を過ごした人間にはおそらく待っていないものです。例えば、やっぱりプロ野球にそれなりに苦しんだ人間でないと、草野球は楽しめないと思っています。今は、そんな野球をやってみたいな、という思いです。

――野球に費やしてきた膨大な時間と、これからどう付き合いますか。

ちょっと今はわからないですね。ただ、たぶん明日からもトレーニングをすると思います。ぼくはじっとしていられないから。動き回っているでしょうね。

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