パール・バックの遺作が語る彼女の人生の意味

死後40年で発見された「終わりなき探求」

第2次世界大戦中は、パール・バックの名声と影響力の絶頂期だったといえるだろう。

第2次世界大戦時の日本の侵攻に対し、バックは親中派として米中共同戦線を支持した。彼女は、1880年代以来60年続いた悪名高い中国人排斥法の撤廃を訴える市民委員会を設立した。戦時体制の熱狂が味方して、1943年に移民排斥法は撤廃された。その一方で、「反日系人政策」に抗議する書簡をルーズベルト大統領夫人宛に送り、ルーズベルト大統領を説得してくれるよう要請した。

戦後、彼女は、ノーベル賞作家という公的地位を利用して、人間として当たり前の良識と男女同権の訴えに世間の目を向けさせた。

他者の窮状に直面して、バックはまず手紙を書き、それから講演をし、エッセイを書き、最後に機関を設立して支援に乗り出すのだ。必要な多額の資金の確保は、寄付のみならず彼女の著書の好調な売れ行きに支えられていた。

彼女の本は米国での書籍の売り上げに大きな影響力をもつマンスリー・ブック・クラブの推薦図書に15回選ばれているが、これをしのぐのはジェームズ・ミッチェナーとスティーブン・キングぐらいである。数千万部単位で本が売れ、70カ国語以上の言語に翻訳されているバックのキャリアは驚異的だといえる。

「私の仕事は本を書くことです」

だがバックは、自分は非政治的であると言っており、また晩年にはこうも発言している。

『終わりなき探求』(国書刊行会)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします

「わたしはヒューマニテリアンではありません。ただ、書くためには人生の本流に関わらなければならないということです。そしてどんな形の混乱も我慢ができないのです。

しかし、それは作家の秩序感覚であって、それが私に困窮児救済のような大儀を行わせるようにするので、何ら人道的な感情からではありません。私は作家であって、私の仕事は本を書くことです」(ニューヨーク・タイムズ、1973年3月7日号)

1973年3月、バックの逝去に際し、ニューヨーク・タイムズ紙は1面の訃報、文学の評価、社説とともにニクソン大統領の弔文を掲載した。80歳でこの世を去るまで、アメリカ社会においてバックの公的地位は揺るぎないものであった。

小説の最後、若くしてベストセラー作家となった主人公が、ある喪失を経験して人生を見つめなおそうとする。彼は言う。いたずらに知識を吸収するのでなく、1日1ページを、隅々まで味わって読むように生きていきたい、と。文名と社会的地位を手に入れたパール・バックをして、知識でははかり知れないものが最後に残ったということだろう。それが何かを探求してやまない心を、彼女は最後まで持ち続けていたのである。

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