パール・バックの遺作が語る彼女の人生の意味

死後40年で発見された「終わりなき探求」

今日パール・バックがおそらくその名をとどめている最大の仕事は、恵まれない子供のための仕事だろう。彼女は1949年に、私財を投じて国際的養子縁組斡旋機関のウェルカム・ハウスを設立している。

当時71歳のバックは、30代の元ダンス教師テオドール・ハリスに財団の経営を任せている。彼はバックの最後の10年間、最も身近にいた人物であるが、財団内部の金銭トラブルや男児に対する性的虐待のスキャンダルをフィラデルフィア誌にスクープされ、タイム誌には「崩壊しつつある財団」と書かれる事態に陥らせている。

それでも、ハリスのビジネス手腕を買っていたバックは、報道内容をすべて否定し、1969年に住み慣れたフィラデルフィアを離れてバーモント州に彼を連れて移り住み、そこが終の棲家となった。「序文」でウォルシュの言う「財産を狙う人びと」はハリスであろうし、遺作の紛失劇からも作家の晩年の特殊な人間関係が浮かび上がってくる。

自分の人生を材料として小説を書く

作家としての出発点であった『大地』を書いた当時を振り返ってパール・バックはこう言っている。「あの頃、自分に書けるものなどなく、唯一中国のことしか知らなかった。それで『大地』を書いたら大当たりしたのです」。彼女の小説は、「自分がよく知っている身辺なことを書く」ことだった。

遺作となった『終わりなき探求』で、ある編集者が主人公の作家に語る。「(作家は)暮らしのなかにあるものだけを書き、日常のありふれた光景や音、におい、感情など、さまざまな人生の状況が物語に織り込まれています。作品は生きて呼吸しています。この人は書かずにはおれないのです」。もちろんこれは、バック自身の書き方に相違ない。

自分の人生を材料として小説を書く、と語る著者であるが、その人生は多彩の一言に尽きる。帝政末期の中国で前半生を送り、米国に帰国後の後半生は、国内の貧困や人種差別に対する抗議運動が盛んであった時代に、作家、社会事業家として、黒人、女性、少数派民族、混血孤児の権利擁護に桁外れのスケールで取り組んだ。彼女は、勤勉と合理的精神、自助努力を肯定し、その時々の試練を乗り越えてきた。

本書の序文に、養子のE.ウォルシュ氏がこう書いている。

「母は怠惰を忌み嫌った。19世紀末から20世紀初頭にかけて中国で暮らし、大多数の中国人の暮らしに蔓延する貧困を知った母には、ただ懸命に働くことでしか、豊かな暮らしは得られないという考えが身に付いていた」

その根底には、母キャロラインから受け継いだアメリカの開拓者精神が流れており、また父アブサロムが生涯を捧げた宣教を、バックは非宗教的に実践したともいわれている。

以下に、作家と社会事業家の側面から、彼女のほかに類をみない多事多端な人生をたどってみよう。

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