貨物ターミナルだった汐留駅から築地市場まで延びていた貨物線は1987年に廃止された。
線路跡は道路に転用されたものの、銀座郵便局脇の浜離宮前踏切の警報機のみが「銀座に残された唯一の鉄道踏切信号機」として保存されている。
クルマや徒歩で通りかかると、線路がないのに踏切の警報機が立っているのに驚くことであろう。そこから朝日新聞東京本社ビルの裏手に続く道が線路跡だ。
線路がなくてもカーブの具合など普通の道路とは違うことは、廃線跡をいくつも散策していると感覚的にわかるであろう。
かつて都電が走っていた
都電砂町線は、城東電気軌道という私鉄が当時の東京市に買収され、都電の一路線となったものだ。
道路以外の専用軌道を走る区間もあり、それが1972年の廃止後、複数の緑道公園として整備されている。東京メトロ東西線の東陽町近くには南砂緑道公園がある。永代通りから緑道への入口は直角ではなく、急カーブしているのが廃線跡らしい。
歩道と自転車道に分かれていて、途中で大きく東へカーブする。小名木川貨物線と交差するあたりには、ここを走ったであろう都電車両の車輪が短い線路上に置かれ、廃線跡のモニュメントになっている。
JR亀戸駅東口近くの京葉道路を渡る水神森交差点から南下しているのが亀戸緑道公園だ。途中、首都高速の高架下にある竪川人道橋の片隅には都電のものと思われる車輪2対がモニュメントとして置かれ、29系統、38系統というここを走っていた都電の系統が記されている。
歩道にはレールのモニュメントが埋め込まれ、路面電車が走っていたことを思い出させてくれる。当時の路面電車の走る風景を切り絵風にあしらったモニュメントは中々洒落ている。ここから南は大島緑道公園となり、都営新宿線西大島駅付近まで続いている。
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