「ジョーカー」に見えたお笑い芸人の格差社会 なぜ無名芸人ほど残酷な扱いをされるのか?

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アーサーの出演した番組が話題になり、彼はマレーのトークショーに出演することになった。生放送中に彼は、証券マンを殺したのは自分であると告白して、司会者のマレーをその場で撃ち殺した。他人を笑わせようとして努力してきたつもりの自分が笑われたことに我慢ならなかったのだ。

このとき、アーサーは狂気の人「ジョーカー」となり、口角を大きく上に切り裂くようなメイクをしていた。これは、彼が病気で発作的に笑ってしまう人ではなく、自ら笑う人になるという決意表明でもある。もう二度と笑われないためには、自分が笑う人になればいい。

こうして彼は、他人を笑わせる人になる代わりに、自ら笑う人になった。この世界を、社会を、人々を、呪うように笑う。いわば、最高のコメディアンになることを諦めた彼は、最高の観客になった。この腐った社会をコメディーの舞台に見立てて、最前列の観客としてそれをつぶさに見て、笑い飛ばす側に回ることにしたのだ。「俺の人生は悲劇だ。いや、違う。喜劇だ」というセリフはそれを象徴している。

お笑い界も「格差社会」だ

『ジョーカー』は格差社会を描いた映画だと言われる。実はお笑い界も格差社会であり、笑いをテーマにしたこの映画では、その残酷な現実も描かれている。有名な芸人ほどウケやすく、無名な芸人ほどウケにくい。無名な芸人が有名になるためには、この絶望的な格差を前提にして、それを自らの力で覆していくしかないのだ。

そもそも笑いとは権力的なものだ。笑いという営みを通して、笑わせた人は笑ってしまった人を屈服させている。この弱肉強食の戦いに敗れたアーサーは、コメディーの世界を捨てて、悪の道を極めるダークヒーローになった。彼はジョーカーになり、「どんなときも笑顔で」という母の願いをこのうえなく皮肉な形でかなえてみせたのだ。

ラリー遠田 作家・ライター、お笑い評論家

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らりーとおだ / Larry Tooda

主にお笑いに関する評論、執筆、インタビュー取材、コメント提供、講演、イベント企画・出演などを手がける。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)など著書多数。

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