自分の命と34人の命、どちらが「重い」ですか 究極の選択で「思考力と決断力」を鍛えよう
Aさんが9万9500円で、あなたが500円という配分は、当然「馬鹿げている」と反発したくなるものです。
拒否をするのは、自分が少々の得をするよりも、相手に大きな得をさせないことで、不公平であると主張するためです。
500円を受け取ると答える人は「座っていただけで500円もらえるのだから、ラッキーだ」と答えるのではないでしょうか。
500円を受け取らないという選択は、相手との比較によって生まれます。一方で500円を受け取るという選択は、受け取らない状態(0円)との比較によって生まれていると考えられます。
もしも決めたのが機械なら、誰も文句は言わない
では、Aさんが人間でなく、機械だとしたらどうでしょうか?その結果としてはじき出した数字が500円だったなら、どう考えますか?
その場合、先ほどのような「ずるい」「馬鹿にされた」という感情は、まず浮かばないでしょう。「機械がはじき出した数字なら仕方がない」と受け取るでしょうし、「自分は500円渡せばいいタイプらしい」と、笑い話にすらなりそうです。では、両者の差は何でしょうか?
当然、相手が人か機械かという違いなのですが、それによって変わるのはあなたの思考です。相手が人間の場合、ずるい、おかしい、悔しいといった感情が芽生えます。
実際に似たような実験をすると、500円よりずっと多い配分にしても、相手のほうが多く受け取るケースでは「拒否」が多数派になることがわかっています。つまり、この思考実験は、相手への感情を優先させるか、自分の利益を優先させるかという2択になります。
もし、あなたの役を機械が担当したとしたら、100%の確率で500円を受け取るでしょう。なぜなら、そのほうが自分にとって得だからです。
しかし、私たちは機械ではないため、感情が働き、選択に迷うのです。
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