ノーベル経済学賞「実証実験による貧困対策」に 経済学は「モデルから実証へ」潮流が変化

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確かに人間や社会では、実験動物のようにあらゆる条件や環境を完全に揃えることはできない。でもある施策(たとえば学費補助)について、それを受ける人と受けない人を完全にランダムに選んで実施したらどうか。

実験をゆがめかねない個人ごとのさまざまな差は、標本数が多ければだいたい相殺し合う。受けた人と受けない人の結果を比べれば、純粋にその施策の効果だけを抽出できるのではないか。経済学でもきちんとした実験ができるのではないか――。

今回の3人は、それをやり、そして成功させた。ある意味でこれは経済学での革命だった。それまでの経済学は、いくら高度な数式や統計分析を駆使したところで、極論すれば、しょせんは粗雑な思い込みをこむずかしく焼き直していただけとさえ言える。でもランダム化対照実験の導入で、やっときちんとした実験による裏付け手法が得られた。

そしてまた、経済学ではモデルによる大きな理論的枠組み構築の動きが一区切りついたということもある。もちろん、理論はいまも進歩している。でも、合理的期待形成や情報の経済学、収穫逓増やゲーム理論といった大技を理論に導入し、新しい分析モデルの体系を構築し直す作業はそんなに残っていないようだ。また、特にリーマンショック(世界金融危機)のおかげもあって、そうしたモデルの限界もだんだん見えてきた。

むしろ、データを地道に集める実証分析が、今後の経済学では重要になりそうだ。たとえばベストセラーになったピケティ『21世紀の資本』(みすず書房)は、各国の課税データを地道に集めた成果だ。今回の3人の業績は、そうしたデータ収集と実証というこれからの経済学の方向性において、中心的なツールを提供するものだ。

根拠のない貧困対策が横行していた

そして彼らがそれを最大限に活用した分野は、主に貧困対策だった。これが受賞理由の「世界の貧困軽減」の部分だ。

さて、まず大きな誤解を解いておこう。世界の貧困は大きな問題ではある。ただし世間的なイメージとは裏腹に、世界の絶対的な貧困者は過去数十年で激減している。東南アジア、そしてその後は中国とインドの経済成長のおかげで、すさまじい数の人々が貧困から脱出した。

その一方で、他の貧困国や地域での絶対的な貧困はなかなかなくならない。そしてその解消に向けて、いろいろな貧困対策が開発援助(ODA)などを通じて行われた。学校をつくってみたり、農業の生産指導をしてみたり、小事業用の少額資金を貸してあげてみたり、政治参加を促進して経済的な自決力を高めようとしてみたり。

だがそうした各種施策はどれも明確な根拠はなかったりする。貧困対策の多くは多少の経験則と、「はずだ」「べきだ」の信仰表明に近い。すべての子どもは教育を受けられるべきだ、初期投資さえ支援すればみんな起業して豊かになるはずだ、政治に声を反映させられないから貧しいはずだ――。

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