「やる家事」よりしんどい「考える家事」の破壊力 名もなき家事の神髄は「しない家事」にある!?
私は広告会社の在籍時に、4カ月半の育児休暇を取得しました。当時は「世界は誰かの仕事でできている。」(ジョージア)や「バイトするなら、タウンワーク。」といったキャッチコピーを書いていた、コピーライターとして働き盛りの時期。
そんな中での長期離脱となるため、周囲から驚きとざわつきがありました。基本的には育休を取ることは夫婦間での決定事項だったので、相談というスタンスではなく、報告・相談・調整を各所で行っていきました。
育休が始まった直後は、仕事のタスクを処理するように、効率的にテキパキと家事をこなしていきました。育児面での心配や不慣れな点はあれど、一人暮らしの経験もあったため、家事面においてはスムーズな滑り出しでした。しかし、1週間を過ぎてから、急にストレスを感じるようになったのです。
考える家事が家事育児へのやる気を奪っていく
「毎日同じような食事だと飽きるかなぁ」「明日は雨だから今日中に洗濯物を干しとかなきゃ」「お風呂洗ったかどうか忘れたな」「買っておくべきゴミ袋を今日も買い忘れた」
こうした「考えごと」が頭の中をグルグルする時間が増えていき、やる家事を着実にこなしているもかかわらず、ずっと何かに追われていたり、やり忘れていることがあるような不安感に押し潰されそうになったのです。そして、徐々に家事が手につかなくなり、自己嫌悪に陥るという負のスパイラルにのみ込まれていきました。
こうしたモヤモヤを抱えながら家事育児に向き合っていた、ある瞬間に気がついたのです。実際に家事を行っていないけれども、頭のどこかで家事について、考えたり、悩んだり、困ったり、判断したりする「考える家事」が存在していることを。掃除や洗濯や食事作りなどの「やる家事」はやった瞬間に終わるけれど、「考える家事」は24時間つねに頭の片隅にあり、大きなストレスとなって家事育児へのやる気を奪っていくことを。
名もなき家事という概念が語られるようになって久しいですが、「やる家事」がほとんどで、「考える家事」については、あまり言及されていないのが現状です。そのため、拙著『やってもやっても終わらない名もなき家事に名前をつけたらその多さに驚いた。』を執筆する際には、意識的に「考える家事」を多く取り上げることにしました。
すると、本書の発刊前に行った事前ヒアリングの場で、日々家事育児を頑張っている方々から、興味深い反応を得ることになりました。「考える家事」の項目について「これって家事なんですか……?」という反応が多く挙がったのです。なぜそのように感じるのかを詳しく聞いてみると、皆さん「だって、何かを考えているだけで、何もいないじゃないですか?」と口をそろえるのです。
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