フランスワインの定着 その2:ローマ市場の変調《ワイン片手に経営論》第6回
紀元一世紀後半、ローマのワイン市場にはある変化が起きていました。ワインの価格下落です。どのくらい下落したかは定かではありませんが、歴史書などの中には「いちじるしく下落」「価格暴落」といった言葉が使われています。この価格下落という現象を経済学的な観点で演繹的に紐解きながら、当時、起きていたさまざまなことを帰納的に組み合わせると、ローマ時代のワイン市場の様子をより生き生きと想像することができます。今回は、この価格下落の要因に迫りたいと思います。
価格下落は、なぜ起きるのか--。経済学的には、「供給過剰」と「需要不足」という、二つの仮説が立てられます。ここでは、需給のどちらか、または両方が原因で価格が変動したという仮説を考えたいと思います。なお、価格が先に動いて、需給を動かしたという考え方は、そもそも市場の価格をコントロールできる人がいたのかという疑問や、「価格下落要因論」ではなく、価格下落の影響は何であったかという「価格下落影響論」となって設問の設定が変わってしまうことなどから、ここでは考えないことにします。
■需給バランスから考える価格下落のメカニズム
供給過剰説一つめの仮説は、前回のコラムでお話をした、ガリア人が新しい品種のもとで始めたブドウ栽培に起因する供給過多です。さらに、この仮説を分解すると、ローマのワイン生産者へ二重の影響を与えていた可能性が考えられます。ひとつはガリアで生産されたワインがローマに流入し、競争が激化したということ、もうひとつはギリシャ・ローマで生産されたワインの中で、ガリアに輸出されていたワインが行き場を失い、ローマ帝国内に滞留したということです。
二つめの仮説は、ローマ人自身が新しいブドウ畑を拡大し続けたと思われることです。ローマ時代にはPOSのような情報処理技術は存在していませんでしたので、供給過剰の実態に気づくまでには時間がかかったはずです。そして、ワインは非常に稼ぎの良いビジネスでしたから、人々は供給過剰を確信するまでブドウ畑の拡大を続けたと考えられるわけです。
三つめの仮説は、ガリアでもローマでもなく、それ以外の地域、たとえばスペインなどからのワインの流入です。当時のローマは、スペインやアフリカ北部の地中海沿岸も属州にしていましたので、この可能性も否定できません。