フランスワインの定着 その2:ローマ市場の変調《ワイン片手に経営論》第6回

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■価格下落のメカニズム再考

 ここまで、価格下落の要因仮説を五つ挙げてきました。供給過剰仮説が三つ、需要不足仮説が二つです。ここで、要因仮説をひとつひとつ吟味しただけでは、ローマのワイン市場で実際に何が起きていたかは、実はあまりよくわかりません。そこで、これらの仮説全体を見渡しながら考えてみたいと思います。

 まず、ポンペイから考えを出発させてみたいと思います。ポンペイは、ローマ市に並ぶ重要なワインの積み出し港であるとともに、重要な消費地でもあったようです。ポンペイにはブドウ畑が多数あり、ヒュー・ジョンソンは「イタリアのボルドー」と称して、フランスのワインの代表的な銘醸地であるボルドーに喩えています。このような街が消失したと考えると、イタリアの上質ワインの供給地が消失したと考えるほうが妥当かもしれません。先ほどは、ポンペイの消失により需要が減少したという仮説を立てましたが、実際は供給が減ったとするのが、ローマ市に並ぶ重要な港という意味での影響の大きさとして、より正しい仮説と考えるべきです。79年のポンペイの消失は、その周辺のワイン供給地の消失と、79年に生産されたワインの消失が同時に起きたということであり、実際に80年にはワインの不足が生じたという記録があるようですので、この仮説の信憑性が上がってきます。

 しかし、この推論では、当初の設問「なぜ、価格下落が起きたか」と矛盾します。供給が減ったのであれば、価格は逆に上昇するのではないかと。しかし、推論はここで止まらないのです。ポンペイの消失の後、ワインの供給が急減した結果、人々は焦ってローマ近郊のいたるところでブドウ畑を作ったのです。既存の小麦畑やトウモロコシ畑を潰してまで、ブドウ畑を拡大したというのです。当然、供給が不足しているうちは、ワインの価格は上昇しましたが、その後、供給過剰の時代がやってきました。

 特に、この時に増加したブドウ畑は、供給不足をできるだけ早く補うために、収量の多い大衆ワイン向けのブドウ畑であったと考えられます。一般的に、畑の単位面積あたりから収穫されるブドウの量を増やそうとすると品質が低下する傾向にあり、ブドウの収穫量を抑制すると品質が向上する傾向があります。畑からブドウが吸収する栄養分がたくさんのブドウに分散するか、少ないブドウに凝縮されるかというように考えていただければわかりやすいと思います。結果、その数年後には、ローマ市場は、大衆ワインの比率が増加する形での、供給過剰状態になり、これがワインの価格の「暴落」に拍車をかけていったと考えるのが自然ではないかと思うのです。

 さらに、ローマ国内で大衆ワインが広がったうえに、ガリアからはアロブロゲス族やビトゥリゲス・ウィビスキ族が栽培した現在のフランスの銘醸地のブドウの起源と想像されるブドウ品種から作られる上質なワインの輸入、およびスペインなどのワインの新興国からの輸入が供給過剰に追い討ちをかけて行ったのが実態だったのではないでしょうか?

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