フランスワインの定着 その2:ローマ市場の変調《ワイン片手に経営論》第6回

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需要不足説
 一方、需要不足であったとして、考えられる一つの仮説は、ローマの人口が減っていたのではないかということです。ローマ時代にも少子化があったという話がありますが、これが事実だとすると需要そのものが縮小したとする話にも説得力があります。しかし、この話の根拠はあまり堅固ではないようです。ローマの五賢帝の全員に子供がいなかったことが、ローマ市民全体に拡大解釈されて少子化仮説が出たという話もあり、この仮説の採用はやや疑問を残します。

 需要不足の二つめの仮説は、79年のヴェスヴィオ火山の噴火によるポンペイの消滅です。ポンペイはリゾート地としての機能も果たしており、ポンペイの遺跡から、酒場が少なくとも200軒あまり存在していたことが分かっています。また、ワインの価格などが酒場の壁に書かれており、当時いくら位でワインを飲むことができたかも窺い知ることができます。「一アスでワインが飲める。二アスなら最高のワインが。四アス出せばファレルヌムのワインが飲める」(*1) アスというのは当時の青銅貨です。また、ファレルヌムというのは当時のローマを代表する高級ワインです。こうした遺跡から、ローマ時代の富裕層がこの地を訪れ、ワインを片手に快適な時間を過ごしていたことが想像されます。

 やや脱線しましたが、ではポンペイの消失でどのくらい需要が減ったのでしょうか。そこで、次のように考察してみました。まず、当時のローマの人口推定50万人に対して、ポンペイの人口は2万人程度、ポンペイの死者数が約2000人というのが最も受け入れられている数字のようです。ポンペイの遺跡発掘調査は、1748年に開始されて以来、200年以上かけて現在でも行なわれていますが、当時の人口推計値は、発掘された建物の寝室の数や円形闘技場の観客席数の推定などから算出されたものですので、2万人という数字は、ポンペイの住民人口だけでなくこの土地を訪れていた観光客の数字も含んだものと考えてよいと思われます。その上で、この2万人という数字だけ見ると、ワイン市場の需要へのインパクトは少なかったと考えるのが妥当と思われますが、ここで思考を止めてはいけないと、もう少し考えてみます。

 ローマの人口50万人のうち、4分の3が奴隷であったことを考慮し、奴隷はワインの中心的な消費者ではなかったとすると、残りの4分の1の人口が約12万人。このうち、女性が半分とし、さらにその3分の1が子供であるとやや粗い仮定を置いてみると、当時の中心的なワイン消費人口というのは、実は4万人程度であったのではないかということです。しかし、この理屈の問題は、ポンペイの人口や死者数についても同じようにワインの消費人口を割り引いていかないと公平な論理とならない点ですが、仮にポンペイの死人全員がワイン消費者であったとしても、ローマのワイン消費人口4万人のうち比率としては5%で価格下落の決定的要因と考えるのはやや無理があると思われます。

*1 『ワイン物語 上』(平凡社)より
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