鶴岡:新しい領域になればなるほど、課題設定も難しくなりますよね。しかも、研究内容に関する専門性が防研に存在するかという、いわばマッチングも重要になるわけでして、これも現実には容易ではありません。
もう一点、これは防衛省と防研の関係に限った話ではないですが、重要な政策課題になればなるほど、外部の知見を求めないという傾向も指摘できます。官僚の習性なのかもしれませんね。重要な政策課題にはセンシティブな情報もそれだけ多く含まれるわけでして、そうなると、自分がいちばん知っているという思いが強くなることは想像できます。
その代表例が日米関係・日米同盟です。日米関係は外交安保の最重要事項ですから、防衛省でも外務省でも、主流派の優秀な人々が担当します。そして、内部情報は彼らが独占しています。その結果、日米関係は政府の内側と外側で最も情報量のギャップが大きい分野になるわけです。残念ですが、「内部の重要な情報に基づかない議論など価値がない」と思ってしまう実務家が出てくることに驚きはありません。
日米関係に関する政治・外交評論ではなく、安全保障関係をリアルに論じるには、この情報ギャップの問題にどのように取り組むかを真剣に考えなければなりません。
3.11の原発事故で露呈した管理能力の危うさ
船橋:確かに、それは私も感じてきたことです。しかし、一方で、そのような一種の仲間内だけでの同盟のマネジメントは、急速に機能しなくなっているようにも思います。とくにトランプ政権になってから―――いや、その前に急激に経済超大国となる中国が経済統治(エコノミック・ステートクラフト)を行使し、その先鞭をつけていると思いますが―――ファーウェイ問題に象徴的に表れているように、貿易も投資も金融も技術も、経済相互依存そのものも次から次へと武器化してしまい、安全保障も経済も技術も同じ地経学のパワーゲームの土俵に乗せられています。そのような状況では、安保の専門家同士だけでも、経済の専門家同士だけでも、問題を十分に捉えることができなくなりつつあると思います。
日本の場合、それは3.11の原発事故で露呈しました。あのような「想定外」の事故が起こったとき、経済産業省の官僚やいわゆる「原発村」の学者だけでは、危機管理を行うことはできなかった。政府内の、あるいは政府と関係の深い専門家が情報を独占している状況で、その専門家集団が「原発事故は起きない」ことを前提に危機管理を設計していた。
その想定を超えてしまった危機ですから、自衛隊もアメリカ軍も、要するに日米同盟を使って対処せざるをえなくなった。1号機、3号機、2号機の原子炉がメルトダウンし、4号機の使用済み燃料プールが破滅するかどうかという瀬戸際で、日本政府はアメリカ政府から「英雄的な行為(heroic act)」を取るよう求められたのです。あのときは。それぞれの政府の部署がたこつぼ的に部分最適解を求めても、全体最適解は得られません。ちょっと話が飛びましたが、地経学的挑戦を乗り切るうえでも、経済・技術と防衛・安全保障の政策プロの協力が不可欠となっていると思います。
鶴岡:そこは、まさに私もいちばん関心あるところです。ただ、役人としては、そういう状況になればなるほど自分の島を守りたいという方向が強くなってしまうかもしれません。とくに、安全保障と防衛の問題はそうです。
船橋:だからこそ、どこかでブレイクスルーして、たこつぼの中にいる専門家に情報を独占させず、さまざまな利害関係者を糾合して、いろいろな視点を入れて議論を深めていく機能が重要で、それこそが、シンクタンクの果たす役割だと思います。
それにしてもなぜ、それが政府系のシンクタンクではできないのでしょうか。
鶴岡:最大の問題は政策提言を期待されていないことでしょう。
船橋:そうなりますね。
(後編に続く)
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