鶴岡:そうです。2005年末に着任しました。今でもよく覚えていますが、2006年のはじめ、大使館での最初の実質的な仕事は、当時の谷内正太郎・外務事務次官来訪の対応でした。
滞在中、NATO主要国大使の多くが参加して日本大使公邸で夕食会が開催され、そこで、「日本とNATOの関係を進めよう」と議論が盛り上がりました。それが同年5月の麻生太郎外相(当時)のNATO訪問につながり、さらにその半年後の2007年1月には日本の首相として初めて安倍晋三首相がNATO本部を訪れました。日・NATO関係が一気に動き始めたんです。
しかし、外務省にも大使館にも、さらにいえばNATO事務局にも、日本からの閣僚や首相のNATO訪問準備の蓄積はなく、試行錯誤の繰り返しでした。NATOとの調整には私も全面的に関わることになりました。こうした訪問の準備以外の日々のNATOとの接触においても、大使館内での役割分担が固定化されていなかったのは幸運でした。大使を含む当時の上司にも助けられ、NATO側の接触相手のレベルもさまざまに、極めて自由に動くことができました。連日NATO関係者に会うなかで、新たな世界に触れましたし、NATO事務局にはいまでも当時の仕事仲間が沢山います。
外相と首相の訪問の準備にあたっては、東京とのやり取りも多くなるわけでして、「政府はこのように動くのか」というのが、現場感覚として理解できたのが非常に大きな財産になりました。
NATOに対する政府の対応
船橋:もう少し具体的に教えていただけますか。政府はどんなふうに動いていると思われましたか。
鶴岡:時期や分野によっても違うと思いますが、政策は組織ではなくて、人で動くのだということを実感しました。当時のNATOはアフガニスタンに国際治安支援部隊を派遣していました。NATOとの関係を構築していくには、日本としてもなんらかの形でそれに協力する必要があります。
外務省でNATOを主管する課長は欧州局政策課長ですが、彼の前職はODAのなかでも無償資金を担当する無償資金協力課長で、さらにその前には、イラクにおける有志連合との協力を担当していました。現・国際協力局長の鈴木秀生さんです。
アフガニスタンの治安維持のためにNATOと協力するといっても、いきなり自衛隊を派遣するのはハードルが高すぎます。では、何ができるか。そこで軍事組織との協力とODAという、一見なかなか相容れない2つを結びつけるというアイデアが出てきたのです。鈴木さんの経験がなければ不可能だったと思います。結局、草の根無償資金協力の枠組みを使い、NATOと連携することになり、このスキームは、民生支援活動ではありますが日・NATO協力としてかなり成功したと思います。もちろん、日本側ではとくにODA関係者の間でNATOや外国軍隊との協力への反発や懸念がありましたが、その後の、ODAの戦略的活用のはしりだったかもしれません。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら