日米同盟の本質は他国と比べないとわからない たこつぼにいる専門家の情報独占が問題だ

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鶴岡:そうです。2005年末に着任しました。今でもよく覚えていますが、2006年のはじめ、大使館での最初の実質的な仕事は、当時の谷内正太郎・外務事務次官来訪の対応でした。

船橋洋一(ふなばし よういち)/1944年北京生まれ。東京大学教養学部卒業。1968年朝日新聞社入社。北京特派員、ワシントン特派員、アメリカ総局長、コラムニストを経て、2007年~2010年12月朝日新聞社主筆。現在は、現代日本が抱えるさまざまな問題をグローバルな文脈の中で分析し提言を続けるシンクタンクである財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブの理事長。現代史の現場を鳥瞰する視点で描く数々のノンフィクションをものしているジャーナリストでもある。主な作品に大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した『カウントダウン・メルトダウン』(2013年 文藝春秋)『ザ・ペニンシュラ・クエスチョン』(2006年 朝日新聞社) など(撮影:今井康一)

滞在中、NATO主要国大使の多くが参加して日本大使公邸で夕食会が開催され、そこで、「日本とNATOの関係を進めよう」と議論が盛り上がりました。それが同年5月の麻生太郎外相(当時)のNATO訪問につながり、さらにその半年後の2007年1月には日本の首相として初めて安倍晋三首相がNATO本部を訪れました。日・NATO関係が一気に動き始めたんです。

しかし、外務省にも大使館にも、さらにいえばNATO事務局にも、日本からの閣僚や首相のNATO訪問準備の蓄積はなく、試行錯誤の繰り返しでした。NATOとの調整には私も全面的に関わることになりました。こうした訪問の準備以外の日々のNATOとの接触においても、大使館内での役割分担が固定化されていなかったのは幸運でした。大使を含む当時の上司にも助けられ、NATO側の接触相手のレベルもさまざまに、極めて自由に動くことができました。連日NATO関係者に会うなかで、新たな世界に触れましたし、NATO事務局にはいまでも当時の仕事仲間が沢山います。

外相と首相の訪問の準備にあたっては、東京とのやり取りも多くなるわけでして、「政府はこのように動くのか」というのが、現場感覚として理解できたのが非常に大きな財産になりました。

NATOに対する政府の対応

船橋:もう少し具体的に教えていただけますか。政府はどんなふうに動いていると思われましたか。

鶴岡:時期や分野によっても違うと思いますが、政策は組織ではなくて、人で動くのだということを実感しました。当時のNATOはアフガニスタンに国際治安支援部隊を派遣していました。NATOとの関係を構築していくには、日本としてもなんらかの形でそれに協力する必要があります。

外務省でNATOを主管する課長は欧州局政策課長ですが、彼の前職はODAのなかでも無償資金を担当する無償資金協力課長で、さらにその前には、イラクにおける有志連合との協力を担当していました。現・国際協力局長の鈴木秀生さんです。

アフガニスタンの治安維持のためにNATOと協力するといっても、いきなり自衛隊を派遣するのはハードルが高すぎます。では、何ができるか。そこで軍事組織との協力とODAという、一見なかなか相容れない2つを結びつけるというアイデアが出てきたのです。鈴木さんの経験がなければ不可能だったと思います。結局、草の根無償資金協力の枠組みを使い、NATOと連携することになり、このスキームは、民生支援活動ではありますが日・NATO協力としてかなり成功したと思います。もちろん、日本側ではとくにODA関係者の間でNATOや外国軍隊との協力への反発や懸念がありましたが、その後の、ODAの戦略的活用のはしりだったかもしれません。

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