認知症でも「言葉にならない動機」は確実にある 脳科学者が注目する、自覚できない情報・感情

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――言葉にできない動機の部分を理解する話で思い出したことがあります。私の母は言葉で上手に表現できなくなっても、施設のスタッフさんの人物評が正確で、聞いている私のほうが驚かされることがありました。

お母様は体でいろいろと感じていらっしゃったのですね。

――私は当初、母は言葉でうまく表せないので「この人は寝るときの体位交換が雑だな」などと、体の繊細な感覚で人物判断をしたと思っていたのです。でも母は自分の動機を見極められるか否かで、スタッフの方の良しあしを判断していたのではないでしょうか。

身体的な判断もあったと思いますが、おそらくお母様の言葉にされない動機を読むのが得意な人とそうでない人がスタッフさんにいらして、お母様は動機を読むのが得意な人だと居心地がよかったのではないでしょうか。

私たちだって同じですよ。自分の中で当初考えていた道筋と違う形で目の前で物事が展開していくと、「アレ?」と不安に感じたり、居心地が悪くなったりしますよね。言葉にできない脈絡の部分をないがしろにされたり、邪魔されたりすると、どんな人でも心が苦しくなるんですよね。

施設のスタッフさんに関しては、その人自身の良しあしではなく、人間同士の相性が関係するのだと思います。

認知症の人の社会的な感受性は正常である

――認知症になったとしても、それまで地域でも会社でも人間関係を紡いで、社会性があったわけですから、突然病気になって人物評価ができなくなるほうがおかしいですよね。

そのとおりだと思います。実は、認知症の方の社会的な感受性は正常であるという研究結果が数多く出ています。

アメリカの研究者ロバート・レベンソンらは、アルツハイマー型認知症の人がパートナーと自分たちの問題を話し合うときの視線のやり取りを記録しました。

健康な夫婦間では、一方が「あなたのココがイヤなの」と話すと、話すほうは目をそらすけれど、言われたほうは相手の目を凝視するという視線のパターンが見られます。それとまったく同じで、認知症の人も不都合な問題を自分が話すときは目をそらし、話されている時は話し手をじっと見るということが明らかになりました。

認知症になったとしても、他人が自分をどう思っているかについてはとても敏感です。「これがイヤ」「あの人はちょっと……」という関心を、人は一生持ち続ける。なぜなら人は、人間と人間の間に生まれてきたわけですから、「相手は自分をどう思うのだろう」という自尊心に関わる内容は、一生尽きることのない興味なんですよね。

恩蔵先生が書いた脈絡の話の図(撮影:大澤誠)

ここで意識にのぼらない脈絡や動機の話に戻ると、認知症になるとこの図の上の部分、意識にのぼっている部分をつなげて論理として展開する力は確かに弱くなるかもしれません。今日何があったということを、意識的に保持していくことは難しい。それでも今日体験したことは、無意識の部分にはしっかり残っているのだと思います。

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