認知症でも「言葉にならない動機」は確実にある 脳科学者が注目する、自覚できない情報・感情

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――私の母も徘徊というか、室内でも屋外でも私を強い力で引っ張りながら練り歩いていました。私は引っ張られながら、母の強い動機を感じていました。

お母様は、どんな感じでしたか?

――母はその頃、自分の感情をうまく言葉で表現できなくなっていました。でも私の手をすごい力で引っ張りながら、何かを真剣に探すというか、口にはできない何かを完遂させようとしていました。

お母様の言葉で言えない動機に寄り添っていらっしゃるから、横山さんのお母様は安心していらしたでしょうね。

第三者から見たら訳のわからない行動でも、近しい人が見ると理由をそこはかとなく感じることがありますよね。言葉にされていなくても「何かあるんだろう」と動機の部分に寄り添われていたら、人は安心するのだと思います。言葉にならない脈略に寄り添うとは、その人の根本を認めることなんですよね。

言葉にできない部分を認めてもらい安心するのは皆同じ

――確かに本人の脈絡に寄り添うと、安心した顔をしていました。母は不安からくる行動だと思うのですが、ちぎれたパスタのようなものをティッシュにくるんで、あちこちの引き出しの奥に入れる癖があったのです。

恩蔵絢子(おんぞう あやこ)/1979年生まれの脳科学者。専門は自意識と感情。2007年に東京工業大学大学院総合理工学研究科 知能システム科学専攻博士課程を修了、学術博士。現在、金城学院大学、早稲田大学、日本女子大学にて非常勤講師を務める。著書に『脳科学者の母が、認知症になる ~記憶を失うと、その人は“その人”でなくなるのか?』『化粧する脳』(茂木健一郎との共著)、訳書にジョナサン・コール『顔の科学−自己と他者をつなぐもの』、茂木健一郎『IKIGAI−日本人だけの長く幸せな人生を送る秘訣』がある(撮影:大澤誠)

わかります。大事に思って取っておくんですよね。

――当初引き出しから見つけるたびに、私は母を怒っていました。でもある時から怒るのをやめて、施設の人の言葉をまねて、見つけるたびに母に「しまい上手!」と言い出したら、子どものように舌をペロッと出しておどけるようになって。ゴキゲンな状態が続くようになりました。

それは大きな出来事ですね。お母様は、しまおうとしていたことを横山さんにわかってもらえたんですものね。

よく幼い頃、自分でも理由はわからないけれど、ぐずってしまうことがありましたよね。うまく言葉にできないけれど、子どもなりに何となくイヤな気持ちがあって。そんなときに親に寄り添ってもらい「よしよし」と頭をなでてもらうと、心が落ち着く。「イヤな気持ちがわかってもらえた。言葉にできない動機の部分を認めてもらえた」と本人が思えると、心の安定につながるでしょうね。自分でうまく口に出せない時はとくに。

だから子どもでも認知症でも健康な大人でも、自覚できない動機の部分を人にわかってもらえると安心するのは、同じではないでしょうか。

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