「機動戦士ガンダム」と「ジブリ」の意外な共通点 保守主義思想から読み解く
杉田:それに対して、『魔女の宅急便』のキキは特別な魔法の力がなくなっても、現実の町の暮らしに軟着陸して、新しいコミュニティーの中に根を下ろして、ちょっと変わった女の子として生きていくみたいな、そういうところがあるのかもしれないですね。
それは、もしかしたら安彦さんが『THE ORIGIN』でシャアの結末と対比して描いた、アムロの最終的な着地点にちょっと似ているかもしれない。アムロはニュータイプとか、特別なヒーローであることをだんだん捨てていって、無名な1人の青年、かけがえのない個人として、改めてこの世界で生きようとしていく。
中島:告白しておくと、僕のなかには2つの欲望がたぶんずっと拮抗しているんですね。1つは、安彦作品のロマン的な感覚にシンパシーを持っています。というのは、私もまたそのような心情を持った人間だからなんです。
一方で、ロマンでもってみんなを包み込んでしまおうとする、そういう欲望をつねに戒めていなければならない。つまり、ブレーキとしての保守思想にも強いシンパシーがありますね。
杉田:そういう分裂を自分の中に感じたのは、いつ頃のことですか。
ロマン的な感覚と保守思想が共存
中島:いつからでしょうね。なぜ両方に惹かれるんだろう、という自分でも不思議な気持ちがありました。理知的には保守に惹かれて、感情的にはロマンなほうに持っていかれる。どっちを自分の指針とするべきなのか、それに悩んだ時期もあったんですが、結局、今もそれら両方が混在というか、共存しているんです。
そういう意味で、『魔女の宅急便』は僕にとって保守の感覚なんですよ。僕なりの居心地のよさなんですよね。それに対して『千と千尋の神隠し』や、安彦さんの『虹色のトロツキー』のような作品にも魅かれている。それら2つの拮抗状態という感じでしょうか。
宮崎さんの場合、コンセプトが先立って過剰になると、映画としての魅力が落ちるという感じがします。『もののけ姫』は、正直やっぱりしんどかったですね。なんかいろいろな思想や観念を引っ張ってきて、それをくっつけているのが何か透けて見えて。
杉田:高畑勲さんの作品は、あまり見ませんか。
中島:いくつかは見ていますが、正直、あまり魅かれません。