「機動戦士ガンダム」と「ジブリ」の意外な共通点 保守主義思想から読み解く

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(左)杉田俊介氏、(右)中島岳志氏(撮影:編集部)

杉田:日本の戦後のサブカルチャーには、戦前戦中の大日本帝国、大東亜共栄圏、満洲国の「夢」を取り返そうとする、という不穏な欲望があり続けてきた、とよく言われます。

実際に、宮崎駿・高畑勲が若い頃に働いた東映動画には、満洲(満映)の「夢」が流れ込んでいて、ジブリの作品にも至るところに「満洲の影」が見いだされます。気になるのは、ジブリ作品にはアジア的なものへの奇妙な誘惑と否認が見られてきたことです。

杉田 俊介(すぎた しゅんすけ)/1975年、神奈川県生まれ。法政大学大学院人文科学研究科修士課程修了。文芸誌・思想誌などさまざまな媒体で文学、アニメ、マンガなどの批評活動を展開し、作品の核心をつく読解で高い評価を受ける。著書に『宮崎駿論』(NHKブックス)、『ジョジョ論』『戦争と虚構』(作品社)、『長渕剛論』(毎日新聞出版)、『無能力批評』(大月書店)、『非モテの品格』(集英社新書)などがある(撮影:編集部)

『千と千尋の神隠し』の油屋は、スタジオ・ジブリの似姿でもあるし、あるいは原子力によって動いているのではないかという説もあります。もともと宮崎さんの作品では、『となりのトトロ』の懐かしい昭和30年代の田舎的な村とかも、いろいろな要素を寄せ集めたパッチワークであり、モダニズム的な欲望に基づいているんですね。

『となりのトトロ』は保守主義者のノスタルジーを満たすような穏やかなものがありましたけれども、「カオスな寄せ集め」が前面に出たのが『千と千尋の神隠し』で。でもそれが非常にグロテスクなのか、郷愁を誘うのかがすごくわかりにくい、というかね。ある種アジア主義的なものが行き着くところまで行き着いたような感じがするんですね。

中島:『となりのトトロ』の世界はちょっときれいすぎというか、あまりにも完結的な世界になっている気がして、僕はちょっと違和感があるんですね。けれども『魔女の宅急便』の世界観は、そういう違和感がほとんどないんです。たとえば物語の後半で、キキの魔法が使えなくなっていくじゃないですか。あれが僕はすごい好きです。

杉田:なるほど。それはちょっと中島さんらしい。

中島:彼女は魔法使いの女の子から、ああやって日常的な暮らしに降りていくわけです。『魔女の宅急便』は、子どもが大人になるにつれて、生活に着陸していくという物語。悲しさもあるけど、否定的じゃないんですね。そこがいいと思うんです。

「ふつうの人間」への愛着

杉田:それを聞いて『機動戦士ガンダム』(『ファーストガンダム』)のシャア・アズナブルのことを思い出しました。アムロとかララァという超能力をもった人物たちに対して、シャアはニュータイプによる革命を思想化して、同志になることを呼びかけるんだけど、カリスマ的な存在だったシャアが、実はニュータイプとしては大したことのない凡人だった事実がだんだん明らかになっていく。

安彦良和さんは、原作の『ファーストガンダム』を読み替えて、『機動戦士ガンダム THE ORIGIN』を容赦なく描いていく。結局シャアは自分に特別な超能力がないかもしれない、という不安に追い詰められ、さらに暴走して、最終的には怨恨と復讐の心にのみ込まれてしまう。

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