成功は「努力」で切り拓くジャニーズの仕事観 ルックスだけではない彼らの努力論とは

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「アウェイ」とも言える置かれた環境の中で、自分の立ち位置をどのようにして確保していくかという点で、参考になるのが嵐の櫻井翔です。

今でこそ嵐のメンバーとして、あるいは役者やニュースキャスターとして、さまざまな分野で活躍している櫻井ですが、嵐としてデビューする前のジャニーズJr.時代は、自らの立ち位置に苦しんだと言います。

ジャニーズ事務所入りしたのは中学2年生のとき。櫻井は幼稚舎(小学校)から付属校に通う、生粋の「慶応ボーイ」で、ジャニーズ事務所入りした中学2年生のときには、普通部(中学校)に通っていました。

学業をおろそかにしなかった

学業と芸能活動――相反する価値観の狭間で揺れながら活動をしていた櫻井は、当時をこう振り返っています。

「いわば自分は“みにくいアヒルの子”だなぁ、と思っていた時期がずっとあった。学校に行きゃ『ジャニーズみたいなことやってるやつ』と言われ、ジャニーズへ行きゃ『Jr.なのに学業優先って何だそれ』という目で見られ……(*1)」

ジャニーズJr.のメンバーになってからも学業をおろそかにすることなく、無遅刻無欠席を貫き、試験のひと月前からは芸能活動を控えていた櫻井。一方で、ジュニアとしての活動には影響が出たようで、ステージで踊る場所が後列になったり、仕事に呼ばれなくなったり……。当時は、滝沢秀明を中心としたジャニーズJr.の黄金期。学業との兼任でトップに立てるほど甘くはなかったようです。

その櫻井に大きな転機が訪れます。1999年、高校3年生のときに嵐のメンバーに選ばれたのです。そうなると、ジュニア時代のような中途半端な“二足のわらじ”は許されません。

1999年に、ワールドカップバレーのイメージキャラクターとしてデビューした嵐は、全国各地で行われるバレーの試合会場に中継のために行かなければなりませんでした。

地方での仕事が終わると、ほかのメンバーはそのまま現地に宿泊する中で、櫻井は1人東京に帰り、翌日の授業に出席して、終わるとまた現地に戻る――成績が足りなければ問答無用で留年させられる付属の高校に通いながら、嵐のメンバーとしての務めを果たします。

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